「ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム」、発売してからみんな楽しく遊んでるかと思います。僕もちょくちょく遊んでいます。
そんな中で僕は前作「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」の動画をちょっとYouTubeで観ていたんですよ。これを改めて見返してみるとBotwはこんな物語だったのか…!とうっかり感激してしまったので僕のこの感動を記事にまとめておこうかと思います。
■「ゼルダのアタリマエを見直す」作品
「ゼルダの伝説Botw」は「ゼルダのアタリマエを見直す」をコンセプトとしてswitchと同時に発売された作品でした。圧倒的なボリュームを前に多くの方が夢中でプレイしたかと思います。僕もそうでした。
崩壊したハイラルの世界で記憶を失ったリンクが自由に冒険をする。その中で自分の記憶を、使命を思い出し100年前に世界を滅ぼした厄災ガノンを打倒しゼルダ姫を救うというゲームでした。
そんな「ゼルダの伝説Botw」、とあるYouTubeの動画を見返してて感じたのですが実はこの作品のストーリーもまた「ゼルダのアタリマエを見直す」がコンセプトになっていたようです。それに気づいて今さらうっかり感動しちゃったのでそれを解説していきたいなと思います。
■英傑たちに課せられた「役目」
この物語は冒険の最中にリンクが失った100年前の記憶を取り戻すことでハイラルが崩壊するに至るまでの顛末が語られます。
その中で100年前の登場人物、リンクやゼルダ、四英傑がどのような想いを抱いていたのかも描かれています。
彼らがどのような想いを抱いて厄災ガノンとの戦いに挑んだのか解説したいと思います。
■ゼルダ
ゼルダ姫はこの物語の最重要人物です。
彼女が100年もの間、厄災ガノンを封じ続けることでかろうじてハイラルを滅亡から守っていました。
そんな彼女は100年前は「落ちこぼれの姫」と揶揄された人物でした。
代々伝わるハイラル王家の姫としての力が目覚めず己の才能のなさに無力感を抱いていた人物です。
彼女は「己に課せられた役目」の重圧に押しつぶされていたんです。
そのため恵まれた家柄と天賦の才を併せ持ちトントン拍子で勇者に選ばれたリンクに対して劣等感を抱いていました。
■リーバル
リーバルはリト族の戦士として英傑に選ばれました。
高飛車な性格をしていますが、彼は実は人知れず努力を積み重ねリト族一の戦士と呼ばれるまでになった人物です。
そんな彼にとって才能で勇者に成り上がったリンクのことは気に入らなかったようです。まるで「努力だけでは天才には勝てない」と言われたかのようだったのでしょう。彼もまたゼルダと同じく己の才能の無さに打ちひしがれ「勇者を援護する脇役の役目」に甘んじていたのです。
■ミファー
ミファーはリンクに恋をするゾーラ族の姫君でした。
幼馴染のリンクは順調に成長し「ハイラルの姫」を守る「勇者」の使命を背負うまでになりました。
しかし、彼女にとっては複雑な心境だったのでしょう。「勇者に守られる姫君の役目」はミファーではなくゼルダだったのですから。
だからといってミファー自身はゼルダのことを嫌っていたというわけではないと思います。むしろゼルダが友達だったからこそ、ゼルダが背負わされた役目と自身の恋心の中で揺れ動いていたのだと思います。
■ウルボザ
ウルボザはゲルド族の族長でありゼルダ姫の母親の友人でした
彼女自身は聡明で使命も理解していた人物ですが、彼女の一族はハイラル王国において少し複雑な立ち位置にありました。ハイラルに災厄をもたらすガノンは元はゲルド族の人間でした。「魔王を輩出した一族の長」という負い目が彼女にはあったのです。
■ダルケル
ダルケルはゴロン族の長でした。
彼だけは他の英傑のように後ろめたい物を持っていませんでした。最も英傑らしい人物だったと言えるでしょう。しかしそれゆえに彼の子孫であるユン坊にとっては「偉大な先祖」として大きな壁となっていたようです。
■リンク
リンクは「退魔の剣に選ばれた勇者」として英傑たちの中心となりました。
家柄にも才能にも恵まれ非の打ちどころがないように思えますが、彼は無口な人物でした。それは彼が「天才」であるがゆえに周囲に期待されたから。その期待に応えようと「勇者は人々の規範たれ」と己を律しているうちに自分を表に出せなくなってしまったのです。
ここまで100年前の人物を挙げましたが、共通点が分かるでしょうか?
実は彼らはみな「己に課せられた役目」に苦しんでいたのです。才能がないから、あるいは逆に才能があるから周囲から様々なまなざしで見られました。そうふるまうべきだ、それが「アタリマエ」だからと「己の役目」を決めつけられていたのです。そうしている内に本当の自分の想いを閉ざしてしまっていたのです。
…僕のお伝えしたいことが見えてきたかと思います。
彼らはみな「アタリマエ」に苦しめられていたんです。
ここには挙げませんでしたがハイラル王も「国王の役目」を果たすため、父として娘を心配する想いに蓋をしゼルダに厳しく当たっていました。
皆、己に課せられた「アタリマエ」に苦しんでいたんですよ。
■「ゼルダのアタリマエ」を見つめなおす旅
「アタリマエ」というしがらみに囚われた100年前の厄災ガノンとの戦いの結果は惨憺たるものでした。
四英傑と国王は戦死、リンクもまた瀕死の重傷を負いゼルダ姫は一人で厄災ガノンを封じ込めていました。
100年後、リンクは記憶も何もかも失った状態で回生の祠で目覚めます。
そんなリンクに国王の霊は「娘を救ってほしい」という父親としての小さな願いを託します。そしてリンクは何もかもが失われた世界の中でわずかに残された記憶を思い出しながら自由に旅をします。
その果てにリンクはマスターソードを再び背負い、ガノンを討ち果たしゼルダ姫を救うことになります。
この構造、わかるでしょうか…?
ハイラル王国という「ゼルダのアタリマエ」は辛くも崩れ去ってしまったのです。
記憶もしがらみも何もかも忘れてしまったリンク=プレイヤーはもう何も残されていない世界で、それでも本当に大切だった物はなにか、本当の「ゼルダのアタリマエ」とはなんだったのかを見つめなおす旅に出るんです。
その旅の途中でゼルダ姫や英傑たちの想いを知り、己が本当に果たすべき願いの意味を、「ゼルダのアタリマエ」がなんだったのかを思い出していくんです。
そして、旅の果てにマスターソードという「勇者の使命」を再び背負い、ガノンという「シリーズ恒例の敵」を討ち果たし、ゼルダ姫を救うという「ゼルダのアタリマエ」を成し遂げるんです。
このゲームがオープンワールドで自由に冒険できることも、このゲームのストーリーも全部「ゼルダのアタリマエ」という本質が何かを見つめなおすための物なんですよ…!
全部繋がってたんですよ…!もう、やばくないですか…!
プレイヤーは最終的に「いつものよう」にマスターソードを背負い、ガノンを倒し、ゼルダ姫を救います。
けど、それは決して「アタリマエ」だから行ったことではないと思います。プレイヤーが心の底から「ゼルダを救いたい」と思ったから成し遂げられたことなんだと思います。
僕たちプレイヤーがハイラルという世界を冒険する意味は何なのか。なぜ「アタリマエ」を行うのか。「ゼルダのアタリマエ」とはなんだったのか。オープンワールドとなったハイラルの世界を自由に駆け回る中でプレイヤーはその意味を見出していくんだと思います。
「ゼルダの伝説Botw」ってそういう作品だったんだなぁ、と今になって痛感させられた、そんな話でした。
すごい作品だなぁと改めて思います。