米津玄師さんの「地球儀」を聞いてたら歌詞の内容に深く感動してしまったので思いの丈をぶちまけようと思います。
あくまで僕の解釈なのでいやそこは違うだろと思うこともあるかと思いますがそこはご容赦を。それと「君たちはどう生きるか」のネタバレ的な部分もあるのでご注意ください。
というのを踏まえて歌詞の解釈を1番から3番まで順番にやっていこうと思う。
■1番
1番は端的に言うと「生きる喜び」を歌っているのかなと思ってます。
この歌には「僕」という人物が登場しますが、彼が生まれて成長していく喜びを語っているのかなと。
というわけで一つ一つ細かく見ていきます。
「僕が生まれた日の空は 高く遠く晴れ渡っていた
行っておいでと背中を撫でる 声を聞いたあの日」
→この2行は「僕」が生まれた場面ですかね。「行っておいで」と祝福されて生まれたんだろうなと。
「季節の中ですれ違い 時に人を傷つけながら
光に触れて影を伸ばして 更に空は遠く」
→ここは「僕」が成長する様を描いてるのかなと思います。
「僕」はまだ子どもなので誰かを傷つけてしまうことばかりだけど、それでも生きている。
「光に触れて影を伸ばして」は日光から受けた影が段々伸びていく時間経過を思わせる物で、同時に身体的にも身長が伸びることで影が伸びる、そういう成長の様を表しているのかなと。
じゃあ「更に空は遠く」って身長が伸びたら空は近くなるんじゃね?と思うかもしれないけど、ここは身体と共に心も成長していて「空は遠い所にあるんだな」っていうのを理解していく精神的な成長も描いてるんじゃないかなと個人的には思います。
端的にまとめると「僕」という子どもが世界の在りようを理解して段々成長していってるのかなって。
「風を受け走り出す 瓦礫を越えていく
この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように
飽き足らず思い馳せる 地球儀を回すように」
→ここはそんな「僕」が生きる喜びを謳歌している場面なんかなって思う。
「僕」は「瓦礫」という道を塞ぐ困難を乗り越えていく。その先に誰かがいるから。そういう困難を越えて誰かと出会う喜びを語ってるのかなと。
「秘密を暴くように 飽き足らず思い馳せる」というのもさっきの「更に空は遠く」と内容的には繋がってると思っていて、まだ自分の知らないこと(世界の理とか誰かの気持ちとか)を「秘密」と例えてそれらに思いを馳せて知ることの喜びを歌ってるんじゃないかなって思います。
だから1番は「誰かと繋がる喜び」みたいなのを歌っているのかなって思います。
ここは3番とも繋がる内容かなとも思うので言及しておくのですが「子どもが成長する喜び」を歌っていて、「僕」はまだ子どもだから誰かを傷つけることしかできなくて、誰かに想いを与える側ではなくて想いを与えられる側でしかないんだけど、そうして「誰かと出会って想いを与えられて成長していく喜び」を歌ってるのかなって個人的に思います。
■2番
2番は1番とは逆に「別れる悲しみ」を歌ってるのかなと思います。
「僕が愛したあの人は 誰も知らないところへ行った
あの日のままの優しい顔で 今もどこか遠く」
→ここは「大切な人」が亡くなったことを表してるのかなって思います。1番と場面が変わったことが如実に出てるかなと。
「雨を受け歌い出す 人目も構わず
この道が続くのは 続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように
最後まで思い馳せる 地球儀を回すように」
→「雨を受け歌い出す 人目も構わず この道が続くのは 続けと願ったから」というのはそんな悲しみの中でも自分は生きていくんだ、自分は自分の道を歩いていくんだってことを言ってるんじゃないかなと思います。雨って悲しいイメージが強いですが、それでも生きていくと。
「一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように 最後まで思い馳せる」という箇所での「秘密」は「もうこの世界からいなくなってしまった人」のことを表してるんじゃないかなって個人的には思う。最後まで、「僕」が死ぬ時までその人のことを忘れないという決意なのかなと。
1番が「誰かと繋がる喜び」を歌っているのに対して2番は逆に「誰かと別れる悲しみ」を歌ってるのかなと思います。
「喜び」と「悲しみ」を経験して「僕」は大人へとなっていく。そして3番に繋がっていきますね。
■3番
3番は喜びと悲しみを知って大人になった「僕」の生き様が描かれてるのかなと思います。
「小さな自分の 正しい願いから始まるもの
ひとつ寂しさを抱え 僕は道を曲がる」
→「小さな自分の 正しい願いから始まるもの」僕は大人になって願うようになるんです。今まで想いを受け取るだけの子どもだった「僕」が誰かに想いを与える側になる。願われる側から願う側になったのかなと。
「ひとつ寂しさを抱え 僕は道を曲がる」はかつて経験した悲しみを抱え「僕」が複数ある道から1つの道を選んで曲がっていく様を表してるのかなとも思います。
「風を受け走り出す 瓦礫を越えていく
この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように」
→ここの4行、実は1番と同じなんですよね。大人になっても困難を乗り越えた先に誰かがいて、繋がる喜びを歌い続けてるんじゃないかなと思います。けどここから下の部分の内容は1番と少し変わります。たぶんその内容こそが「僕」が大人になっていく中で得た物なんじゃないかと思います。
「手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも
飽き足らず描いていく 地球儀を回すように」
→「僕」は自分が人生で学んだ「喜び」も「悲しみ」も形にして、それを絵に描いて伝えていこうとしているんだなと思います。
「手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも」って部分、1番の同じ箇所と比べるとこの1文に対応する部分がないんですよね。だからこの1文こそ、「喜びと悲しみ」こそが「僕」が子どもから大人になる過程で「得た物」なのかなって、思います。
「飽き足らず描いていく」という部分も1番の対応する部分は「飽き足らず思い馳せる」で、子どもの頃はあくまで夢想するだけだったんですが、大人になって「描いていく」ようになった、形にしていこうとしているんですよね。
「与えられる子ども」でしかなかった「僕」が「与える大人」になったんだなと強く感じる場面だなと個人的には思います。そうして「地球儀を回すように」世界は、人生はめぐっていくんだなって。
というわけでこれが僕が「地球儀」に感じた内容だったんですがこの曲は「君たちはどう生きるか」の主題歌なのでその作品とも関わりが深くて、特に「飽き足らず描いていく」って部分は宮崎駿さんの人生をこの10文字に集約してるなって感じます。
宮崎駿さんってまぁ結構引退する詐欺が有名ですが、たぶんあの人って一つの作品に自分の全精力を注ぎこむ方なんでしょうね。それで作り終わった後は疲れて嫌になってもうこんなことやりたくないとか思って引退発言しちゃうんかなって。
けどまぁ少し休んで気力が回復してきたらまた描きたいことが出てくるんでしょうね。それでまた新しい作品を作る。そうしてまた「飽き足らず描いていく」。
なんか、宮崎駿さんってほんとそういう人なんだろうなって思って。で、宮崎駿さんっていう巨匠の人生を端的に10文字の言葉でまとめた米津玄師さんもほんとすごい方だなって、強く思いましたね。