米津玄師さんの「地球儀」を聞いての個人的な感想、解釈
米津玄師さんの「地球儀」を聞いてたら歌詞の内容に深く感動してしまったので思いの丈をぶちまけようと思います。
あくまで僕の解釈なのでいやそこは違うだろと思うこともあるかと思いますがそこはご容赦を。それと「君たちはどう生きるか」のネタバレ的な部分もあるのでご注意ください。
というのを踏まえて歌詞の解釈を1番から3番まで順番にやっていこうと思う。
■1番
1番は端的に言うと「生きる喜び」を歌っているのかなと思ってます。
この歌には「僕」という人物が登場しますが、彼が生まれて成長していく喜びを語っているのかなと。
というわけで一つ一つ細かく見ていきます。
「僕が生まれた日の空は 高く遠く晴れ渡っていた
行っておいでと背中を撫でる 声を聞いたあの日」
→この2行は「僕」が生まれた場面ですかね。「行っておいで」と祝福されて生まれたんだろうなと。
「季節の中ですれ違い 時に人を傷つけながら
光に触れて影を伸ばして 更に空は遠く」
→ここは「僕」が成長する様を描いてるのかなと思います。
「僕」はまだ子どもなので誰かを傷つけてしまうことばかりだけど、それでも生きている。
「光に触れて影を伸ばして」は日光から受けた影が段々伸びていく時間経過を思わせる物で、同時に身体的にも身長が伸びることで影が伸びる、そういう成長の様を表しているのかなと。
じゃあ「更に空は遠く」って身長が伸びたら空は近くなるんじゃね?と思うかもしれないけど、ここは身体と共に心も成長していて「空は遠い所にあるんだな」っていうのを理解していく精神的な成長も描いてるんじゃないかなと個人的には思います。
端的にまとめると「僕」という子どもが世界の在りようを理解して段々成長していってるのかなって。
「風を受け走り出す 瓦礫を越えていく
この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように
飽き足らず思い馳せる 地球儀を回すように」
→ここはそんな「僕」が生きる喜びを謳歌している場面なんかなって思う。
「僕」は「瓦礫」という道を塞ぐ困難を乗り越えていく。その先に誰かがいるから。そういう困難を越えて誰かと出会う喜びを語ってるのかなと。
「秘密を暴くように 飽き足らず思い馳せる」というのもさっきの「更に空は遠く」と内容的には繋がってると思っていて、まだ自分の知らないこと(世界の理とか誰かの気持ちとか)を「秘密」と例えてそれらに思いを馳せて知ることの喜びを歌ってるんじゃないかなって思います。
だから1番は「誰かと繋がる喜び」みたいなのを歌っているのかなって思います。
ここは3番とも繋がる内容かなとも思うので言及しておくのですが「子どもが成長する喜び」を歌っていて、「僕」はまだ子どもだから誰かを傷つけることしかできなくて、誰かに想いを与える側ではなくて想いを与えられる側でしかないんだけど、そうして「誰かと出会って想いを与えられて成長していく喜び」を歌ってるのかなって個人的に思います。
■2番
2番は1番とは逆に「別れる悲しみ」を歌ってるのかなと思います。
「僕が愛したあの人は 誰も知らないところへ行った
あの日のままの優しい顔で 今もどこか遠く」
→ここは「大切な人」が亡くなったことを表してるのかなって思います。1番と場面が変わったことが如実に出てるかなと。
「雨を受け歌い出す 人目も構わず
この道が続くのは 続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように
最後まで思い馳せる 地球儀を回すように」
→「雨を受け歌い出す 人目も構わず この道が続くのは 続けと願ったから」というのはそんな悲しみの中でも自分は生きていくんだ、自分は自分の道を歩いていくんだってことを言ってるんじゃないかなと思います。雨って悲しいイメージが強いですが、それでも生きていくと。
「一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように 最後まで思い馳せる」という箇所での「秘密」は「もうこの世界からいなくなってしまった人」のことを表してるんじゃないかなって個人的には思う。最後まで、「僕」が死ぬ時までその人のことを忘れないという決意なのかなと。
1番が「誰かと繋がる喜び」を歌っているのに対して2番は逆に「誰かと別れる悲しみ」を歌ってるのかなと思います。
「喜び」と「悲しみ」を経験して「僕」は大人へとなっていく。そして3番に繋がっていきますね。
■3番
3番は喜びと悲しみを知って大人になった「僕」の生き様が描かれてるのかなと思います。
「小さな自分の 正しい願いから始まるもの
ひとつ寂しさを抱え 僕は道を曲がる」
→「小さな自分の 正しい願いから始まるもの」僕は大人になって願うようになるんです。今まで想いを受け取るだけの子どもだった「僕」が誰かに想いを与える側になる。願われる側から願う側になったのかなと。
「ひとつ寂しさを抱え 僕は道を曲がる」はかつて経験した悲しみを抱え「僕」が複数ある道から1つの道を選んで曲がっていく様を表してるのかなとも思います。
「風を受け走り出す 瓦礫を越えていく
この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように」
→ここの4行、実は1番と同じなんですよね。大人になっても困難を乗り越えた先に誰かがいて、繋がる喜びを歌い続けてるんじゃないかなと思います。けどここから下の部分の内容は1番と少し変わります。たぶんその内容こそが「僕」が大人になっていく中で得た物なんじゃないかと思います。
「手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも
飽き足らず描いていく 地球儀を回すように」
→「僕」は自分が人生で学んだ「喜び」も「悲しみ」も形にして、それを絵に描いて伝えていこうとしているんだなと思います。
「手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも」って部分、1番の同じ箇所と比べるとこの1文に対応する部分がないんですよね。だからこの1文こそ、「喜びと悲しみ」こそが「僕」が子どもから大人になる過程で「得た物」なのかなって、思います。
「飽き足らず描いていく」という部分も1番の対応する部分は「飽き足らず思い馳せる」で、子どもの頃はあくまで夢想するだけだったんですが、大人になって「描いていく」ようになった、形にしていこうとしているんですよね。
「与えられる子ども」でしかなかった「僕」が「与える大人」になったんだなと強く感じる場面だなと個人的には思います。そうして「地球儀を回すように」世界は、人生はめぐっていくんだなって。
というわけでこれが僕が「地球儀」に感じた内容だったんですがこの曲は「君たちはどう生きるか」の主題歌なのでその作品とも関わりが深くて、特に「飽き足らず描いていく」って部分は宮崎駿さんの人生をこの10文字に集約してるなって感じます。
宮崎駿さんってまぁ結構引退する詐欺が有名ですが、たぶんあの人って一つの作品に自分の全精力を注ぎこむ方なんでしょうね。それで作り終わった後は疲れて嫌になってもうこんなことやりたくないとか思って引退発言しちゃうんかなって。
けどまぁ少し休んで気力が回復してきたらまた描きたいことが出てくるんでしょうね。それでまた新しい作品を作る。そうしてまた「飽き足らず描いていく」。
なんか、宮崎駿さんってほんとそういう人なんだろうなって思って。で、宮崎駿さんっていう巨匠の人生を端的に10文字の言葉でまとめた米津玄師さんもほんとすごい方だなって、強く思いましたね。
ゼルダの伝説Totkの物語の解釈 ゼルダから感じる新しい「任天堂のアタリマエ」
ゼルダの伝説Totkをクリアしました。前作に引き続き面白かった…。
ゲーム性はもちろんですがストーリーもやはり面白かったですね。この記事では感想がてら僕の物語の解釈を語っていこうかと思います。ネタバレもあるので悪しからず。
■BotwとTotkは「スクラップアンドビルド」の物語である
Totkの話をする前に前作Botwの内容を軽くおさらい。
ざっくり言うと前作Botwは「ゼルダのアタリマエを見直す」をコンセプトとしたゲームでした。
物語の内容もこれに沿っており、全てが崩壊したハイラルで記憶もしがらみも全て無くしたリンク=プレイヤーがそれでも本当に大切だった物は何か、本当の「ゼルダのアタリマエ」がなんだったのかを探す物語でした。
過去の記事でこの辺りの前作の内容をまとめてるので詳しくはこちらも読んでみて下さい。
ゼルダの伝説Botwの物語の解釈 「ゼルダのアタリマエ」について - ニャッシャソゲームイズム
本作Totkはそれから何年かが経ちました。
ハイラルの各地で復興が進んでいるようですが、その中で「世代交代」も徐々に起きているようです。一方で「古くからの積み重ね」を大事にしてきた人たちはそれを好ましく思わないところもあるようです。
この辺りが顕著なのはハテノ村の村長選ですかね。ファッションでハテノ村に新しい風を吹かせようとするサゴノさんと古くからの野菜作りを大切にするクサヨシさんの対立によって巻き起こる村長選の話です。
そう、Totkのテーマは正にこれなんです。
一言で言ってしまえば「温故知新」でしょうか。古くからの積み重ねを学び、新しい世代へ向かって進んでいく。これが物語の主題のようです。
さて、ここからが本題。物語の解説です。
今作ではゼルダ姫はマスターソードと共に過去のハイラルへ飛ばされてしまいました。そして過去へいったゼルダ姫は未来でガノンドロフを倒すため龍となってマスタソードに聖なる力を蓄え続けることを選択します。過去のハイラルへいったゼルダ姫は未来のハイラルにいるリンクに想いを託しました。リンク=プレイヤーはそんなゼルダ姫の手がかりを探し求めて少しずつ復興するハイラルを旅します。
この構造、前作Botwが全てが失われたハイラルで本当の「ゼルダのアタリマエ」=ゼルダの本質を探す旅だったことを踏まえるなら、今作Totkは新しい土台が生まれつつあるハイラルで前作救われなかった「ゼルダのアタリマエ」=過去の積み重ねを探す物語なんです。
言ってしまえばBotwは「スクラップアンドビルド」の「スクラップ」の話で、Totkは「ビルド」の話なんです。2作合わせて「ゼルダのアタリマエを見直す」というスクラップアンドビルドの物語なんですよ。
ティアーズオブザキングダム、涙の王国。それは「過去のハイラル」のことです。
それを踏まえてこの公式イラストを見てください。

このイラストのゼルダ姫の目元、よく見てください。
泣いてるんです。ゼルダ姫は泣いているんです。
過去へ行ったゼルダ姫は、失われた過去は泣いているんです。
リンクはそんなゼルダ姫へ必死に手を伸ばして、掴もうとしているんです。
失われてしまった過去が泣いていて、リンク=プレイヤーが必死に過去を救い上げようとしているんです。
エンディングまで遊んだ方ならきっとこのゲームを楽しくプレイされたかと思います。そして過去作をプレイしたことがある方ならおわかりいただけるでしょうが、ティアーズオブザキングダムでは「過去のゼルダ作品」を思い起こさせる要素も至る所で見受けられたかと思います。
エンディングでリンクがゼルダ姫に手を伸ばした意味、そこまでプレイした方ならもうわかると思います。僕らは「新しいゼルダ」も「過去のゼルダ」も、全てを楽しんで遊んだんです。「すべてのゼルダ」を救い上げたんです。
これが新しいゼルダのアタリマエ、新しい「ゼルダの伝説 」なんだろうなと、僕は思いました。
■「任天堂のアタリマエ」
さて、ゼルダの伝説自体のお話はここまでなんですがここからは僕がここ最近の任天堂作品に感じた話をしようと思います。
というのもTotkのテーマがざっくり言うと「温故知新」なわけですが、そういえばここ最近の任天堂作品ってみんな同じテーマじゃないか?って思ったんですよ。
わかりやすいところで言うとポケモンSVですね。
ポケモンSVはコライドン、ミライドンという過去or未来から来たポケモンと共に主人公が自分の大切な物、宝探しをするという話です。要するに「過去と未来をめぐって大切なものを探す」ってテーマです。実はゼルダと似てるテーマなんですよ。
他にもゼノブレイド3。
僕の過去のブログ記事でも書いてますがこのゲームはアイオニオンという永遠に輪廻転生を繰り返す世界で、過去の人から想いを受け継ぎ未来へ進むための意志を得るという物語です。やっぱり「過去と未来をめぐって大切なものが何かを知る」物語なんですよ。(一応僕の過去記事も載せておきます。)
ゼノブレイド3の解釈まとめ 1.物語の解釈 - ニャッシャソゲームイズム
その他直近に発売した任天堂作品に関しては僕は遊んでないんですが
メトロイドドレッドだとサムスと関わりの深い、「鳥人族」という過去に絶滅した一族が話に出たり、
FEエンゲージは過去作の英雄と共に戦えることを売り文句にしていたり。
…うーん、なんだかそれっぽい。
遊んだ方がいれば教えていただきたいですがこれらもやっぱり「温故知新」みたいなテーマが各作品にあるんじゃないでしょうか?2作品だけなら偶然かもしれないですがこれだけの作品のテーマが共通しているとなると何か意図がありそうです。
なぜここ最近の任天堂作品に共通したテーマが設けられているんでしょうか?
ここからは個人的な解釈ですがその理由って他でもない、Switchにあるんじゃないだろうか?って思うんです。
というのもこのSwitchというゲームハード、先代社長である故・岩田前社長が熱心に関わっていたプロジェクトです。この話はSwitch発売当時のインタビュー記事などで語られています。(当時の記事のリンク貼っておきます)
「Nintendo Switchは、岩田聡前社長のアイディアが反映されたものになる」宮本茂氏が語る - AUTOMATON
他にもスマブラSPディレクターの桜井さんも日本ゲーム大賞の授賞式で岩田さんへの想いを語っています。(同じく授賞式の桜井さんのコメントのリンクを貼っておきます)
このように今の任天堂において岩田さんの存在というのはとても大きな物のようです。岩田さんは残念ながらSwitchが発売される前に亡くなられたのですがSwitchが世界的なヒットを成し遂げているのも、今の任天堂が在るのも岩田さんあればこそなんですよね。
だから、近年の任天堂作品が「温故知新」をテーマにしてるのって
岩田さんや任天堂を支えてきた人たちへの畏敬の念
の表れなんじゃないか、と個人的には思います。
Switchの発売から6年の歳月が経ちました。いつになるかはわからないですがいずれ新世代のゲームハードの話も出てくるのではないかとも思います。任天堂が会社である以上、一か所にとどまることはできません。時代に応じて、人々が求める物を作っていかないといけないです。
だから、任天堂がこのタイミングで「過去を振り返り、これからの未来の在りようを考えること」を一様に作品のテーマとしたのは岩田さんやそれ以前の先代、山内社長などの方々、任天堂を支えてきた人たちへの感謝であり、改めて会社として未来へ進むための決意の表れなのではないだろうかと思います。
…まぁ本当の意図を知るのは任天堂の方々だけなんですが。けど多くの作品で共通したテーマを持っているので何らかの意図があるのは間違いないかと思います。任天堂の真意はわかりませんがいずれにせよ任天堂ファンとして今後の展開も楽しみにしていこうと思います。
【フロムゲー考察】ダクソやACなどのフロムゲー作品の根底に「グノーシス主義」の思想があるのではないか?という考察
最近ゼノブレイド3をプレイしているんですが、ゼノブレイド3とダークソウルの世界観って妙に似てるんですよね。
ゼノブレイドシリーズは任天堂から出ているRPGですがこのシリーズが「グノーシス主義」というキリスト教の異端思想を盛り込んだ作品というのはファンの間では結構有名な話です。
そう考えたらもしかしてダークソウルの世界観、それどころかフロム作品全般の思想の根幹に「グノーシス主義」という思想が盛り込まれているのでは?という発見をしたのでまとめておこうと思います。
■ゼノブレイド3とダークソウルの世界観の類似性について
最初にダークソウルに「グノーシス主義」の思想があるのでは?と考えた発端、ゼノブレイド3とダークソウルの世界観の類似性についてまとめておこうと思います。
まず、ゼノブレイド3のざっくりとした話の内容を言うと
ゼノブレイド3の世界は「オリジン」という過去の世界の人々の記憶情報を集積した物体を元にして生み出された「アイオニオン」という世界が舞台です。
そしてその世界を「ゼット」という神が支配しているのですが「消滅現象」という現象によって世界は少しずつ滅んで行っているんです。
また、アイオニオンの人間は死んでは元の記憶を失って再生される「輪廻」を永遠に繰り返しています。
主人公のノアはその輪廻を断ち切り世界を変えようとする…
という話です。
一方、ダークソウルのおおよその話の内容は
ダークソウルの世界は「始まりの火」を中心にして生まれた。
そしてその世界、「ロードラン」を治めていたのは「グウィン」という神だが「始まりの火」が消えかかり世界は荒廃していた。
そんな中、ダークソウル1の主人公は「始まりの火」の薪となる使命を背負って旅立つ…
みたいなストーリーです。
以降、「始まりの火」が消えかかる度に薪となる人間が現れ世界を再創造するという「輪廻」が続きます。
そしてシリーズ3部作のラスト、ダークソウル3では「始まりの火」がもうホントに消えかかっており主人公が薪になったところで世界を完全に元に戻すことはできない。
主人公はそれでもなお「始まりの火」を継いで荒廃した世界の輪廻を続けるか、「始まりの火」を消して世界を終わらせるかの選択を迫られる。
という話になるんですよね。
前置きが長くなってしまいましたがゼノブレイド3とダークソウルの世界観が
「オリジンor始まりの火を中心に作られた、少しずつ滅びゆく輪廻を繰り返す世界」
って考えたらめちゃくちゃ似てませんか?
世界の中心:オリジン⇔始まりの火
滅びの輪廻を繰り返す世界:アイオニオン⇔ロードラン
世界を支配する神:ゼット⇔グウィン
という相関関係がなぜだかキレイに成り立っているんです。
なんでこんなに似てるんだろう?と考えたときに僕は最初、お互い聖書から引用している内容が多いので聖書にそういう思想でもあるのかなぁ?くらいに思ってたんです。
けど、先ほども言いましたがゼノブレイドシリーズの思想の根幹には「グノーシス主義」という実在するキリスト教の異端思想が盛り込まれているんです。
ここで最初の本題に戻るのですがそう考えたらもしかしてゼノブレとダクソの世界観が似てるのはダクソの根幹部分にも「グノーシス主義」の思想が盛り込まれているからなのでは?って考えに至ったんです。
■「グノーシス主義」の概要
じゃあ「グノーシス主義」とはそもそもなんなのか?という説明をする必要があるかと思います。
ざっくり言うと仏教の「悟りを開いて苦しい世の中から解脱しましょう」という思想と似たキリスト教の異端思想です。
(僕自身、この思想について勉強中で詳しく理解しているわけじゃないんですが。)
「グノーシス主義」の思想は基本的には
「この世界はクソ。それはこの世界を生み出し支配する創造神が偽の神だからだ。しかし創造神とは別に私たちを生み出した本当の神、至高神がいるはずだ。」
という考え方なんです。
偽の神によって造り出されたこの世界(=現実)を構成する「物質」は悪であり、「物質」で作られた私たちの「肉体」も悪である。
しかし、私たちの内に存在する「精神」だけは真の存在であり、本当の神が自身を模して生み出したものである。
だから、正しい認識によって自らの「精神」=「本質」を見極め、肉体から解き放ち至高神のいる「善の世界」へと回帰しようという思想です。
まとめると「偽物の神様が支配する"悪の世界"(物質)への執着を捨てて、本質(精神)を見極めて本物の神様がいる"善の世界"へ行こう」というような思想なんです。
最初に言った通り、仏教の「悟りを開いて苦しい世の中から解脱しよう」という思想と似た考えになるんですよね。
■フロムゲー各作品に見られる「グノーシス主義」の思想について
上記の「グノーシス主義」の思想を元に考えたらダークソウルやフロムゲーの各作品のテーマってこの思想にかなり似通ってるんじゃないか?と思ったんですよね。
そこで僕が感じたフロムゲー各作品と「グノーシス主義」の思想の関連性について解説していきます。
一つずつストーリーを説明すると冗長になるので詳細までは説明できないですがご了承ください。
また、僕自身フロムゲーはトロコンまでプレイしているものもあれば、動画などで内容くらいは知っているという程度の物まであり理解度は作品によってまちまちです。
そこはご容赦ください。
さて、先におおまかな結論から言っておくとフロムゲーはおおよそ
「プレイヤーの本質(想い)が作品世界の在りようを決める」という形になっているかと思います。また、ベストエンドとでもいうべきエンドは「苦しみに満ちた世界の支配者を打倒して善の世界へ回帰しよう」という結末かのように思えます。「グノーシス主義」が「自らの内に本質を見出し新たな世界へと至る」思想なのでおおよそこの考えに沿っているように思えます。
ということを踏まえて以下からそれぞれ解説をします。
○ダークソウルシリーズ
ダークソウルのおおまかなストーリーは上記で述べましたが最終作、ダクソ3のエンドは以下の4つです。
・始まりの火を継ぐ者エンド
・火の簒奪者エンド
・火継ぎの終わりエンド
・火守女殺害エンド
始まりの火を継ぐ者エンドは上でも言及した通り、始まりの火の薪となりこれまで通り世界の輪廻を継続するエンドです。
それに対して火の簒奪者エンドはいわゆる闇の王となるエンドです。どちらにせよ世界を存続し、主人公が世界のこれからの在りようを決める結末です。
一方、火継ぎの終わりエンドは始まりの火を消し世界を終わらせるエンドです。「グノーシス主義」的にはグウィンという偽の神が創造した「悪の世界」を終わらせる結末だったのではないかと思います。
また、火守女殺害エンドは火継ぎの終わりエンドの直前、火守女が始まりの火を消そうとした瞬間に火守女を殺害し始まりの火を奪い取るエンドです。
始まりの火がダークソウルにおける「悪の世界」の根源ならば「グノーシス主義」的には「悪の世界への執着」を意味するエンドなのではないでしょうか。
○SEKIRO
SEKIROのエンドは以下の4つです。
・不死断ちエンド
・人返りエンド
・竜の帰郷エンド
・修羅エンド
SEKIROの物語において狼さんの「本質」が九郎さまだったと考えるなら
狼さんが九郎さまの願いをかなえるために彼を殺める不死断ちエンド、己を犠牲に九郎さまを生かす人返りエンドはどちらも「グノーシス主義」に沿った話なのではないでしょうか。
九郎さまの願いを聞くか。九郎さまを生かすか。狼さんにとっての本当の「本質」はなんなのかを問われるエンドだったように思えます。
一方で修羅エンドは九郎さまを見捨て、狼さんが葦名の支配者になろうとする「悪の世界への執着」を描いた物のように思えます。
ダクソ3の火守女殺害エンドと似たような意味を持つエンドだったのではないでしょうか。
竜の帰郷エンドはさらに「グノーシス主義」的な思想が顕著です。九郎さまを宿したお米ちゃんとともに西の国へ向かうというのは「グノーシス主義」で言うところの「自らの本質を善の世界へ回帰する」結末だったのではないかと思います。
また、弦ちゃんが葦名に拘っていたのも「グノーシス主義」的には「悪の世界への執着」であり、弦ちゃんから一心様が生えてきたのも「葦名という世界の支配者が一心様」でSEKIROは一心様を斬って善の世界へ回帰しようとする話だったように感じられます。
○ブラッドボーン
このゲームに関しては作品の世界観自体がかなり「グノーシス主義」的な思想に沿っているように思います。
主人公が病気の治療のためにヤーナムに訪れていること。啓蒙を高めて上位者を認識しようとしていること。そもそも上位者の存在その物。
どれをとっても「グノーシス主義」的な思想を感じます。ブラボのエンドの1つ、幼年期の始まりエンドにいたっては主人公自身が上位者になる結末です。とても「グノーシス主義」的なエンドです。
○アーマードコアフォーアンサー(ACfA)
ACfAのエンドは以下の3つです。
・企業連エンド
・ORCA旅団エンド
・人類種の天敵エンド
「グノーシス主義」の思想に当てはめるならACfAの世界観は企業連が世界の支配者であり、企業連とORCA旅団という「偽の神」同士で今後の世界の支配者争いを行うというような話だったのではないかと思います。
そう考えたらどちらのルートでもオッツダルヴァが(ハードモードでは)ラスボスとして立ちはだかるのも彼が「偽の神」の象徴のような存在だったからなのでは?という気がします。
実際に彼はカラードランク1でありORCA旅団長です。どちらの陣営においても相応の地位を持った人物でした。
そして何より注目したいのが人類種の天敵エンドです。
人類種の天敵エンドは主人公自身が人類を滅ぼそうとするというエンドです。
「グノーシス主義」では「肉体」という悪の存在から解き放ち、正しい認識を教えてくれる人物を「救済者」として見ています。
この人類種の天敵エンドは正に主人公が腐りきった「悪の世界」から人類を救済しようとする「グノーシス主義」的なエンドだったのではないでしょうか?
また、人類種の天敵エンドでの主人公の仲間であるオールドキングは前作AC4のED曲「thinker」を歌います。
「thinker」の出だしの歌詞は「I'm a thinker. I could break it down.(私は思想家。私は自分自身だって破壊できる。)」です。
これは正に「グノーシス主義」的な思想を歌っているのではないでしょうか。
つけ加えるなら「thinker」の歌詞全体が「今の世界を破壊して新しい世界へ飛び立とう」とする「グノーシス主義」の思想に沿った歌詞に思えます。詳細についてはYouTubeなどで歌詞翻訳動画が挙がっていますのでそちらを参考にお願いします。
○パッチ
最後は特定の作品ではなく登場人物ですがもはやフロムゲーには欠かせないこいつ、
パッチ、ザ・グッドラック
です。
作品にもよりますがパッチは追いはぎを生業としている男です。先ほども述べましたが「グノーシス主義」では「物質への執着」を悪とし、正しい認識を教えてくれる人物を「救済者」として見ています。
あれ、もしかしてこいつグノーシス的な意味での救済者扱いか…?
他にもダクソ3DLCでは主人公を「正しい道」に蹴落としてくれたり、エルデンリングでは正気を失ったタニスの「大切だった物」を探してくれていたりします。
パッチ、やっぱりお前もしかしてそういう扱いか…?
…というように、フロムゲー全般が「グノーシス主義」の思想を元に作られていると考えたらおおよそ筋が通っているように感じられます。
必ずしも偽の神=悪者というわけではないようですが「苦しみに満ちた世界の支配者を打倒して善の世界へ回帰しよう」というグノーシス的なテーマは一貫しているように思えます。
特にブラボやSEKIROはフラグ立てなどで達成条件が最も難しいエンドが明確に「善の世界へ回帰する」エンドになってるんですよね。
ダクソ3もEDの後、DLCにおいてお嬢様によって絵画世界という「新たな世界」が創造されることでシリーズの幕を降ろします。
各作品のテーマ的にこれをベストエンドと呼べるかはなんとも言えませんが、少なくとも「グノーシス主義」の到達目標に最も沿ったエンドであることは間違いなさそうです。
近年のフロムゲーは基本的に分岐エンド方式を採用していますが「世界の在り様をプレイヤーの感じた想い(=プレイヤーの本質)に委ねる」という観点では「グノーシス主義」の思想に沿った物と思います。
今回は言及しませんでしたがエルデンリングもそうなんじゃないでしょうか。
また、「グノーシス主義」が具体的にいつ頃から盛り込まれているかはわかりませんが「thinker」の内容からすると少なくともAC4の時には存在しているようですね。だとするとデモンズソウル辺りにもあるんでしょうか?
「グノーシス主義」の思想に当てはめて考えれば他のフロムゲーの各キャラクターの行動原理や世界観設定の意味なんかも見えてくるかも…と思います。
これから発売する予定のAC6やエルデンリングDLCの考察の指針にもなるかもしれません。
フロムゲーは長年いろんな方が考察されていますが「フロムの根底」ともいえる今回の内容は我ながらフロムゲー考察的にかなり重要な発見なのでは…!?と、個人的にはそう思わざるを得ません。
…というか正直、僕としてはフロムゲーに一気通貫するテーマの存在を見出せてしまったことが驚きです。
僕自身そこそこ長い期間フロムゲーの考察をしているんですが「フロムゲーの物語に筋が通っていると感じられてしまった」こと自体がなんだか尋常ではないことのように感じてしまいます。
フロムゲーをよく遊ぶ方ならこの気持ち、わかってもらえますかね…?
そしてこの記事を読んだフロムゲーを遊んでいる方に何か得られるものがあれば…と思いこの記事をまとめました。
端くれ考察者のブログ記事の拡散力など知れたものではありますがなにかのきっかけになればいいなと。…けどこの考え、フロムゲー考察にとって結構マジで重大な発見な気がするんですがよければ拡散してくださいお願いします…
余談になりますが今回の発見のきっかけになったゼノブレイドも面白いですよ!シリーズを通して「グノーシス主義」の思想が盛り込まれているのでフロム考察をするなら触れておいてもいいかもしれません。
ゼノブレイド3の解釈まとめ 3.世界観設定の考察
はじめに
(上記は冒頭記事「はじめに」へのリンクです。先にこちらを読んでいただくと後の内容が理解しやすくなるかと思います。)
この記事では前2つ、物語の解釈と聖書的解釈で拾いきれなかった考察の中で僕が個人的に重要だと感じた物をまとめます。
アイオニオンという世界がどういうものだったのか、ゼノブレイド3という物語がなんだったのかひも解いていければと思います。
その性質上、前2つの記事より断定しにくい部分も多くなっていきます。論理だてて説明するつもりではありますが、あくまで僕が個人的に感じた内容だと踏まえて読んでいただければと思います。
また、内容的に前2つの記事で言及した内容を踏まえた部分も多くなってきます。
リンクを貼っておきますので未見の方は先にそちらから読んでいただけるとこの記事の内容がわかりやすくなるかと思います。
さて、本題に入る前にこの記事の各章の目次を載せておきます。ちょっと長くなったので各章に飛べるようにしておきます。
■シュルクとレックスの正体
ゼノブレイド3のDLCでは過去作の主人公、シュルクとレックスが登場しました。
3本編の内容からすると巨神界とアルストは消滅したか時間が止まっていたか、そのどちらかのように描かれていましたが彼らはどのようにしてアイオニオンの世界にやってきたのでしょうか?
また、メリアちゃんの私室にモナドREXが置いてありましたが、3本編の時点ではシュルクはオリジンの依り代となっています。DLCの時にモナドREXが誰かの手に託されたような描写もそんな暇もなかったように思えますが、なぜメリアちゃんの私室においてあったのでしょうか?
さて、これらの疑問を紐解く上でまずアイオニオンという世界の成り立ちを整理しましょう。
僕はこの記事の1章「物語の解釈」で
・オリジンは巨神界とアルスト、2つの世界の人々の記憶や魂(=想い)の集合体である
・オリジンには2世代前の世界である「クラウスの世界」の記憶情報まで存在する
と言及しました。そして、実際にオリジンの核となっていたウーシアは「クラウスの世界」を創造しようとしていました。
つまりオリジンは記憶情報を元に過去の物を創造することができるんです。
そしてシュルクはモナドREXをアルストやアイオニオンの世界の武器、ブレイドと同じように何もない空間から取り出しています。
巨神界ではそのような行為はできませんでしたよね。
アイオニオンにいるシュルクは巨神界ではできないことをやっているんです。
さらに言うならばアイオニオンにいるシュルクのモナドREXは他のアイオニオンの人間、ケヴェスやアグヌスの兵と同じく"ブレイド"となっているのです。
だとするならこうは考えられないでしょうか?
「3DLCのシュルクはオリジンの記憶情報を元にアイオニオンに創造された存在ではないか」と。
そしてその説を裏付ける内容の会話が3DLCに存在します。
それは「妹」というムービーでのエイとシュルク、レックスの会話です。
この会話ではエイとアルファに関する事の顛末が明かされるムービーです。物語でもかなり重要な場面だというのはDLCをやった方ならわかると思います。
また話の内容としてはその直前、「慟哭」というムービーでナエルが仲良くしていたカイラという女の子がケヴェス兵に殺され、ナエルは「古き世界の命」であるケヴェスとアグヌスの兵士を憎んでいた。その心の隙間をつけ込まれてナエルはアルファの依り代になった。
という話から展開している物です。
それらを踏まえた上で「妹」のムービーの後半部分、エイとシュルクとレックスの会話の重要な部分を抜粋します。
※説明を分かりやすくするため一部注釈をつけます
エイ「ウーシアは裁定者だった
しかしロゴスとプネウマの存在、意見と言ってもいい
それがあって初めて機能する」
レックス「つまり、二人を欠いた状態ではただの機械に過ぎない」
エイ「元のボクはクラウスの影響を、その後悔の念を受けてあの世界(※巨神界)に誕生した
それ故君たちに協力できた
彼はもういない
残されたボクはただの機械
ただの機械は冷淡だ
だから、この世界(※アイオニオン)を消去しようとしたんだ
新たな未来を創るためには
過去に固執し、今に留まろうとする雑音
君たちの命は不要だとね
ウーシアは新たな命であるシティーの人々のみを救うべきだと結論した
ウーシアはアルファを名乗りシティーの人々を導き新たな世界へ旅立とうとした
古き世界全てを消し去って」
アルファは「古き世界の命」であるケヴェスとアグヌスの兵士、そしてそれを従えるメビウスを消し去ろうとしました。
それはカイラを殺されたナエルの望みでもあるんです。
しかし、そうなるとエイの会話のこの部分に矛盾が生じるんです。
「新たな未来を創るためには
過去に固執し、今に留まろうとする雑音
"君たち"の命は不要だとね」
…おかしくないですか?
エイはこの時シュルクとレックスと会話しているんです。
なのに"君たち"の命は不要だと、アルファの考える「消えるべき命」にシュルクとレックスが含まれると明言したんです。
つまり、メビウス+ケヴェスとアグヌスの兵士とシュルク、レックスを明確に同列として扱っているんです。
「過去に固執し、今に留まろうとする雑音」
という表現からもそれは明白かと思います。
3本編でもDLCでもメビウスってそういう「思想」を持つ存在として扱われていましたよね。
けど、シュルクとレックスはもちろんメビウスではありません。
メビウスのように過去に固執しているわけでも、今に留まろうとしているわけでもありません。
つまりシュルクとレックスの持つ「思想」はアルファから「消えるべき命」と認識される理由にはなり得ないはずです。
だとしたら文脈的には「古き世界の命」と認識される理由は一つしかありません。
すなわち彼らがケヴェスやアグヌスの兵たちと同じ「アイオニオンという世界の命」だということです。
元が違う世界から来たというのだったら同列には扱えないかと思います。
「古き世界の命」というよりは「別の世界の命」となるわけですから。
実際にエイの会話内では巨神界を「あの世界」、アイオニオンを「この世界」と呼び分けて区別しています。そして「(アルファは)"この世界"を消去しようとした」と述べています。巨神界とアイオニオンが区別されているとしなければ文脈として不整合が生じます。
長くなってしまいましたが、以上のことを踏まえるのならシュルクはオリジンの記憶情報を元にアイオニオンに創造された存在であると考えるのが妥当かと思います。
レックスやリベレイターの面々も同様と考えるのが自然かと思います。
また、そう考えた際にメリアちゃんの私室にモナドREXがあったことの理由も説明できるかと思います。
3のエンディングではハナが登場します。どうやら彼女は世界改編の影響を受けなかったようです。
彼女は機械です。だとするなら同じく機械であるモナドREXもそのままの形でアイオニオンに流れ着いたのではないでしょうか?
モナドREXはメリアちゃんにとって数少ない元の世界との繋がりの象徴だったのかもしれません。
■オリジンに宿る"神なる者達"の正体
3DLCのムービーの1つ「コアクリスタル」ではエヌが終の剣を持っていることに対してゼットがこんなセリフを言います。
「終の剣、因果を否定し揺らぎをもたらす存在
何故あの男の手に渡ったのか
オリジンには"神なる者達"の意志が満ちているようだな」
また、レックスが自分たちが過去の記憶を持っていることに対して
「自分たちが過去の記憶を持ってアイオニオンに存在するのはきっとそういう役割を与えられたからなんだ」と語ります。
まるで彼らに役割を与えた存在がいるかのようです。
このようにゼノブレイド3では度々ゼットとはまた違う、いわば上位存在のような意志の存在が示唆されます。
では、この"神なる者たち"の正体はなんなのでしょうか?
注目していただきたいのはゼットの台詞のここです。
「オリジンには"神なる者達"の意志が満ちているようだな」
どうやらこの上位存在はオリジンに宿っているようです。
そして、先ほども少し言及しましたが僕はこの記事の1章「物語の解釈」で
・オリジンは巨神界とアルスト、2つの世界の人々の記憶や魂(=想い)の集合体である
・オリジンには2世代前の世界である「クラウスの世界」の記憶情報まで存在する
これらの事実からオリジン及びオリジンから創りだされたラッキーセブンは
「過去から今に至るまでのみんなの記憶と魂、すなわち想いの集合体」と結論づけました。
だとすれば答えは見えてこないでしょうか。
「"神なる者達"の意志」とはすなわち「オリジンに宿るみんなの想い」だと僕は考えています。
ではなぜ彼らはそんなことをするのでしょうか。
ここからは僕個人の感じた内容です。物語の内容を断定するわけではありません。ということを踏まえた上でお話しします。
同じく1章「物語の解釈」で僕は「ゼノブレイド3はみんなの想いを授かったノアという胎児がこの世に生を受けるまでの物語」だと述べました。
だから、「みんな」がそんなことをするのは最終的にはすべて「ノアが未来に進むことを決意するため」なんだと思います。
オリジンにはフィオルンやホムラ、ヒカリもいて、ダンバンさんにリキ、カルナにラインにジークにメレフにサイカにカグツチにトラに…挙げ出したらキリがないくらい、「みんな」がそこにいると思うんです。
エヌが終の剣を持っているのも「みんな」が今の彼にはそれが必要だと思ったからなんだと思います。
シュルクとレックスがアイオニオンに存在するのも「みんな」がきっと2人の手助けが必要だからと思って送り出してくれたんだと思います。
彼らは、「みんな」はノアという赤ちゃんがこの世に生まれてくることを応援してくれているんだと思います。
最終決戦の場でレックスは「"二人"がいてくれれば…」と言っていました。
たしかに"二人"、ホムラとヒカリはあの場にはいなかったかもしれません。
ですが、二人の想いはあの時、絶対に彼らと一緒に戦ってくれていたんだと思います。
なんてことはないんです。
結局は全部、生まれてくる"赤ちゃん"のことを想って「みんな」が応援している、そういう話なんだと僕は思います。
■ケヴェスとアグヌスの兵士たちは何者なのか
アイオニオンに生きる人たちの中にはシュルクやレックスがいます。一方でコパムの孫娘、つまりパオラちゃんの娘であるコパミさんがいたりハイエンターやマシーナの混血化が進んでいるように時代的にはシュルクやレックスの時代よりかなり先でなくてはおかしいような人間がいます。
それはなぜなのでしょうか?それを考えるにはやはりアイオニオンの世界の成り立ちについて考える必要があります。
先ほどから述べているように
・オリジンは巨神界とアルスト、2つの世界の人々の記憶や魂(=想い)の集合体である
・オリジンには2世代前の世界である「クラウスの世界」の記憶情報まで存在する
・オリジンのコアであるアルファは実際に「クラウスの世界」を創造しようとした。
つまり、オリジンは記憶情報があれば過去の物でも創造できる。
という内容を言及しました。
また、物語的には過去と未来が本質的に同様の物であることが示唆されています。
以下はエイの「未来」に関する台詞です。
「未来は決まったものではない。もし(未来視ができるエイが)未来の姿を告げたとして、それは一つの可能性、朧な姿でしかない」
未来は「人の意志によって変えられる朧な物である」ということが示されています。
またエンディングでのエイの「過去」に関する台詞
「ボク達が依り代となることでゼットはその力を増すだろう。今回のこともオリジンに関することも朧な記憶となっていく。」
こちらの台詞は正確には3DLCの顛末が後世に伝わっていないことの理由づけになっています。
しかし、7人目の始祖(ウロボロスストーンのゲージからすると恐らくリクのこと)の記録が残っていないように過去もまた「人の意志によって書き換えられる朧な物である」という風には考えられないでしょうか。
同じく六氏族の始祖の像の説明ではリンカはレックスの自由奔放な気質を受け継いだと書かれています。ですが彼女はむしろかなりキッチリしたタイプだったかと思います。
他にも六氏族の像は3DLCの内容と食い違う部分がいくつか見受けられます。そういった点でも「過去もまた人の意志によって書き換えられる朧な物である」と考えられないでしょうか。
ゼノブレイド3が"永遠の今"という大きな輪廻の物語だという点からしても、過去と未来が本質的には同様の物だという考え方はそこまで不自然な物でもないかと思います。
話がそれましたが本題に戻ると過去と未来が本質的には同様の物でありオリジンが過去の物を創造できるのなら「オリジンは未来の物も創造できる」とは考えられないでしょうか?
なぜそんなことを考えたかというとエイの持つ力、「未来視」の存在です。「未来視」は設定的には世界を構成する根源元素、エーテルの流れを読み取ることで未来を予測する仕組み、というのがゼノブレ1においてウーシアことアルヴィースによって語られています。
つまり、必要十分な情報を得られれば未来の情報を知ることはできます。そして、オリジンには過去の世界の全ての情報が蓄積されています。さらにオリジンのコアとなっているのは他ならぬウーシアです。
1&2のED後、世界が融合するより以前の巨神界やアルストならいざ知らず、かつての巨神界のようにウーシアが核となって生まれたアイオニオンの世界で未来の情報を知ることはそんなに難しいことではないのではないでしょうか。
少なくともかつての巨神界でザンザは古代ハイエンターによって封印される際に何千年も後にシュルクが生まれることを未来視しています。
それらを踏まえるとシュルクやレックスたちとコパミさんやケヴェス、アグヌスの兵たちがアイオニオンに存在しているのは「アイオニオンには過去の人間も未来の人間も同時に存在できるから」だと考えられないでしょうか。
1章「物語の解釈」で僕は「ノア達ケヴェスとアグヌスの兵は想いと命をまだ託されていない胎児のような存在」であると言及しました。
そういった観点からしてもケヴェスやアグヌスの兵にまだこの世に生を受けていない未来の人間が存在すると考えるのはそんなにおかしいことではないと思います。
■「ゼノブレイド」の世界を形作る「想い」について
先ほどの章、「シュルクとレックスの正体」でハナなどの機械類は世界改編の影響を受けていないようだと言及しました。
それはなぜなのでしょうか?それを知るにはこのゲームでの「機械」が何を意味するのかを考える必要があります。
同じく「シュルクとレックスの正体」の章で抜粋したエイの台詞にこのような物があります。
「元のボクはクラウスの影響を、その後悔の念を受けてあの世界(※巨神界)に誕生した
それ故君たちに協力できた
彼はもういない
残されたボクはただの機械
ただの機械は冷淡だ」
また、3DLCではシュルクがニコルに「機械は人殺しの道具にも人を守る道具にもなる。それは使う人の想い次第だ」と諭すシーンがあります。
これらをまとめるとこう考えられないでしょうか?
「機械はそれ自体には想いは存在しない。そこに使う人の想いが注がれることで初めて意味が生まれる物である。」
機械そのものには「想い」はないんだと思います。だから使う人の「想い」が必要なんだと思います。実際、「想い」を持たないアルファでは真に自身の力を引き出せないからナエルを依り代に求めたと言及されています。
一方で、アイオニオンの世界や人間というのは「想い」を元に形作られる存在なのです。人々が「想い」によって未来へ進む意志を得るというのはゼノブレイドシリーズを通して描かれてきたことかと思います。
また、オリジンが「想い」の集合体であるというのはこの記事でも何度も言及してきました。だから、オリジンという「想い」を元に創造されたアイオニオンもまた「想い」によって形作られた世界だと言えると思います。
そして実はこの考え方、実在する哲学論と同様の考え方なんです。
その哲学の名前は「モナドの哲学」と言います。
「モナドの哲学」はライプニッツという哲学者が考案した物ですがすごくざっくりした内容としては「この世界のあらゆる事物はモナドという精神の力によって成り立っている」といった考え方です。
科学的に近い概念で言えば原子みたいな物ですかね。
要するに世界はモナド=想いで形作られてる、みたいな話なんです。
(僕も詳しいわけじゃないのでその認識で完全にあってるかは分からないですが)
ゼノブレイドでは世界を構成する要素を全部まとめてエーテルと呼んでいます。つまりエーテル=モナド=想いってことなんじゃないでしょうか。
そしてエーテルとは違う、無機質な物質から作られた機械は世界改編の影響を受けなかった。そういうことなのかもしれないです。
そしてこれはおそらく1の頃から存在している世界観かと思われます。1は「機械」との戦いを描いた物語だったので。
■ラッキーセブンを投げ捨てた理由
先ほど述べた通り僕はオリジン及びそこから創り出されたラッキーセブンを「過去から今に至るまでのみんなの記憶と魂、すなわち想いの集合体」と結論づけました。しかし本編のエンディングでノアはラッキーセブンを投げ捨てています。そんな大切なものをなぜ投げ捨てたのでしょうか?
僕としては「ノアにはもう必要ないから」だと考えています。
ゼノブレイド3は「想いを託されたノアが未来を切り開く物語」です。ラッキーセブンが「想い」の集合体であり「未来を切り開くための力」だとするのなら未来へ進むこと、すなわち「生まれること」を決めたノアはもうその力を借りる必要はないのだと思います。
一方できっとこれからアイオニオンを訪れることになる人もいるのだと思います。(アイオニオンという世界がまた創造されるという話ではなく物語の比喩的な話として)
だからノアはこれからアイオニオンを訪れるその人たちの力になるようアイオニオンの世界へラッキーセブンを還したのだと思います。すなわちノアもまた、未来の人へラッキーセブンを託したんです。
きっとノアもまたラッキーセブンの一部になるのだと思います。シュルクやレックス、「みんな」と同じように。
■「ノア」
さて、この記事の最後はノアの正体がなんだったのかについて言及したいと思います。ノアはゼノブレイド3の主人公です。彼やケヴェス、アグヌスの兵は「胎児のような存在」だと述べました。ではそんな中でアイオニオンという輪廻の中心にいた彼はいったい何者だったのでしょうか?その正体は何だったのでしょうか?
繰り返しになりますがここは僕が個人的に感じた内容です。
特に主人公の正体というのは基本的には物語の根幹に関わる内容になると思います。作者としても人それぞれ、思い思いに受け取って欲しいとあいまいにしている部分もあるかと思います。
ここに関してはあえて断定的な情報を出しません。これを読んだ方、ゼノブレイド3をプレイした方がどう受け取るか次第です。その上でもし何かゼノブレイドの物語を読み解くきっかけになれば、と思います。
結論から言いますが
ノアは「普通の男の子」だと思います。
ゼノブレイド3でノアは自分の選んだ道に対してそれが本当に正しいのか悩んで後悔して、その中でみんなから想いを受け取って未来へ進むことを決めました。
けどそれって普通の人間として生きてたら当たり前に起きることじゃないですか。
僕も、おそらく今これを読んでいる方も。
シュルクという英雄でさえ「自分があの時、神になる選択肢を選んでいれば今と違った物になっていたのではないか…」と後悔するくらいなんです。
けど、人間ってそういう生き物じゃないですか。だからノアも普通の人間なんだと僕は思うんです。
たまたまミオという女の子に出会って
たまたまその子に恋をした。
どんな時代、どんな場所にでもごく普通にいる「普通の男の子」なんだと思います。
彼がアイオニオンという輪廻の中心になっていたのは単なる偶然かもしれません。けどその偶然を「運命」と呼ぶのなら、それは必然だったのかもしれません。
それが「ノア」だったんだと僕は思います。
…以上が世界観設定の考察になります。
あとがきのような物になりますが冒頭でこの記事は前2つの記事で拾いきれなかった考察をまとめた物と書きました。個人的にはこの3つ目の記事は「その他」みたいな感覚で書いたんですが結果的に一番分量が多くなってしまいました。
実は僕が感じた中でまだ語っていない考察はそこそこあります。それくらいゼノブレイドという物語は詳細な部分にまで意味があるということなんだと思います。
僕が気づいていないだけでまだまだ色んなところに意味があるのだと思いますし、それによって僕の解釈が変わってくることもあるかと思います。
物語の考察とはそういった作者が伝えたいことを読み解いていくための手段のようなものだと僕は思っています。
僕が今回この記事をまとめた理由もこのゲームの物語を考察していく上で感じた気持ちを大切にしまっておきたかったからなんです。
やっぱり、僕もゼノブレイドのファンなので。
そしてこれを読んだ方が何かを得られたのなら記事を書いた僕としてはこれ以上ないことです。
以上、ゼノブレイド3の解釈まとめでした。
各章へのリンク
1.物語の解釈
2.聖書的解釈
3.世界観設定の考察(この記事)
前の記事
ゼルダの伝説Botwの物語の解釈 「ゼルダのアタリマエ」について
「ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム」、発売してからみんな楽しく遊んでるかと思います。僕もちょくちょく遊んでいます。
そんな中で僕は前作「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」の動画をちょっとYouTubeで観ていたんですよ。これを改めて見返してみるとBotwはこんな物語だったのか…!とうっかり感激してしまったので僕のこの感動を記事にまとめておこうかと思います。
■「ゼルダのアタリマエを見直す」作品
「ゼルダの伝説Botw」は「ゼルダのアタリマエを見直す」をコンセプトとしてswitchと同時に発売された作品でした。圧倒的なボリュームを前に多くの方が夢中でプレイしたかと思います。僕もそうでした。
崩壊したハイラルの世界で記憶を失ったリンクが自由に冒険をする。その中で自分の記憶を、使命を思い出し100年前に世界を滅ぼした厄災ガノンを打倒しゼルダ姫を救うというゲームでした。

そんな「ゼルダの伝説Botw」、とあるYouTubeの動画を見返してて感じたのですが実はこの作品のストーリーもまた「ゼルダのアタリマエを見直す」がコンセプトになっていたようです。それに気づいて今さらうっかり感動しちゃったのでそれを解説していきたいなと思います。
■英傑たちに課せられた「役目」
この物語は冒険の最中にリンクが失った100年前の記憶を取り戻すことでハイラルが崩壊するに至るまでの顛末が語られます。
その中で100年前の登場人物、リンクやゼルダ、四英傑がどのような想いを抱いていたのかも描かれています。
彼らがどのような想いを抱いて厄災ガノンとの戦いに挑んだのか解説したいと思います。
■ゼルダ

ゼルダ姫はこの物語の最重要人物です。
彼女が100年もの間、厄災ガノンを封じ続けることでかろうじてハイラルを滅亡から守っていました。
そんな彼女は100年前は「落ちこぼれの姫」と揶揄された人物でした。
代々伝わるハイラル王家の姫としての力が目覚めず己の才能のなさに無力感を抱いていた人物です。
彼女は「己に課せられた役目」の重圧に押しつぶされていたんです。
そのため恵まれた家柄と天賦の才を併せ持ちトントン拍子で勇者に選ばれたリンクに対して劣等感を抱いていました。
■リーバル

リーバルはリト族の戦士として英傑に選ばれました。
高飛車な性格をしていますが、彼は実は人知れず努力を積み重ねリト族一の戦士と呼ばれるまでになった人物です。
そんな彼にとって才能で勇者に成り上がったリンクのことは気に入らなかったようです。まるで「努力だけでは天才には勝てない」と言われたかのようだったのでしょう。彼もまたゼルダと同じく己の才能の無さに打ちひしがれ「勇者を援護する脇役の役目」に甘んじていたのです。
■ミファー

ミファーはリンクに恋をするゾーラ族の姫君でした。
幼馴染のリンクは順調に成長し「ハイラルの姫」を守る「勇者」の使命を背負うまでになりました。
しかし、彼女にとっては複雑な心境だったのでしょう。「勇者に守られる姫君の役目」はミファーではなくゼルダだったのですから。
だからといってミファー自身はゼルダのことを嫌っていたというわけではないと思います。むしろゼルダが友達だったからこそ、ゼルダが背負わされた役目と自身の恋心の中で揺れ動いていたのだと思います。
■ウルボザ

ウルボザはゲルド族の族長でありゼルダ姫の母親の友人でした
彼女自身は聡明で使命も理解していた人物ですが、彼女の一族はハイラル王国において少し複雑な立ち位置にありました。ハイラルに災厄をもたらすガノンは元はゲルド族の人間でした。「魔王を輩出した一族の長」という負い目が彼女にはあったのです。
■ダルケル

ダルケルはゴロン族の長でした。
彼だけは他の英傑のように後ろめたい物を持っていませんでした。最も英傑らしい人物だったと言えるでしょう。しかしそれゆえに彼の子孫であるユン坊にとっては「偉大な先祖」として大きな壁となっていたようです。
■リンク

リンクは「退魔の剣に選ばれた勇者」として英傑たちの中心となりました。
家柄にも才能にも恵まれ非の打ちどころがないように思えますが、彼は無口な人物でした。それは彼が「天才」であるがゆえに周囲に期待されたから。その期待に応えようと「勇者は人々の規範たれ」と己を律しているうちに自分を表に出せなくなってしまったのです。
ここまで100年前の人物を挙げましたが、共通点が分かるでしょうか?
実は彼らはみな「己に課せられた役目」に苦しんでいたのです。才能がないから、あるいは逆に才能があるから周囲から様々なまなざしで見られました。そうふるまうべきだ、それが「アタリマエ」だからと「己の役目」を決めつけられていたのです。そうしている内に本当の自分の想いを閉ざしてしまっていたのです。
…僕のお伝えしたいことが見えてきたかと思います。
彼らはみな「アタリマエ」に苦しめられていたんです。
ここには挙げませんでしたがハイラル王も「国王の役目」を果たすため、父として娘を心配する想いに蓋をしゼルダに厳しく当たっていました。
皆、己に課せられた「アタリマエ」に苦しんでいたんですよ。
■「ゼルダのアタリマエ」を見つめなおす旅
「アタリマエ」というしがらみに囚われた100年前の厄災ガノンとの戦いの結果は惨憺たるものでした。
四英傑と国王は戦死、リンクもまた瀕死の重傷を負いゼルダ姫は一人で厄災ガノンを封じ込めていました。
100年後、リンクは記憶も何もかも失った状態で回生の祠で目覚めます。
そんなリンクに国王の霊は「娘を救ってほしい」という父親としての小さな願いを託します。そしてリンクは何もかもが失われた世界の中でわずかに残された記憶を思い出しながら自由に旅をします。
その果てにリンクはマスターソードを再び背負い、ガノンを討ち果たしゼルダ姫を救うことになります。
この構造、わかるでしょうか…?
ハイラル王国という「ゼルダのアタリマエ」は辛くも崩れ去ってしまったのです。
記憶もしがらみも何もかも忘れてしまったリンク=プレイヤーはもう何も残されていない世界で、それでも本当に大切だった物はなにか、本当の「ゼルダのアタリマエ」とはなんだったのかを見つめなおす旅に出るんです。
その旅の途中でゼルダ姫や英傑たちの想いを知り、己が本当に果たすべき願いの意味を、「ゼルダのアタリマエ」がなんだったのかを思い出していくんです。
そして、旅の果てにマスターソードという「勇者の使命」を再び背負い、ガノンという「シリーズ恒例の敵」を討ち果たし、ゼルダ姫を救うという「ゼルダのアタリマエ」を成し遂げるんです。
このゲームがオープンワールドで自由に冒険できることも、このゲームのストーリーも全部「ゼルダのアタリマエ」という本質が何かを見つめなおすための物なんですよ…!
全部繋がってたんですよ…!もう、やばくないですか…!
プレイヤーは最終的に「いつものよう」にマスターソードを背負い、ガノンを倒し、ゼルダ姫を救います。
けど、それは決して「アタリマエ」だから行ったことではないと思います。プレイヤーが心の底から「ゼルダを救いたい」と思ったから成し遂げられたことなんだと思います。
僕たちプレイヤーがハイラルという世界を冒険する意味は何なのか。なぜ「アタリマエ」を行うのか。「ゼルダのアタリマエ」とはなんだったのか。オープンワールドとなったハイラルの世界を自由に駆け回る中でプレイヤーはその意味を見出していくんだと思います。
「ゼルダの伝説Botw」ってそういう作品だったんだなぁ、と今になって痛感させられた、そんな話でした。
すごい作品だなぁと改めて思います。
ゼノブレイド3の解釈まとめ 2.聖書的解釈
はじめに
(上記は冒頭記事「はじめに」へのリンクです。先にこちらを読んでいただくと後の内容が理解しやすくなるかと思います。)
ゼノブレイドシリーズおよびその前身にあたるゼノギアス、ゼノサーガが聖書とグノーシス主義と呼ばれる思想の内容を大いに引用しているというのは結構有名かと思います。
ゼノブレイド3にもそれらを引用したと思われる内容があります。ここではその辺りに関連する内容を取り上げます。
■聖書の概要
まず、本題に入る前に僕が知る限りの聖書の概要についてざっくり説明。
単なる歴史の授業になりますが必要な事前知識なのでご容赦ください。。。
聖書はユダヤ教とキリスト教で聖典とされる書物です。今ではキリスト教の方が大きなものになっていますが、歴史的にはユダヤ教が先にあって、後にユダヤ教から分派してできたのがキリスト教です。
聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」の二つがあります。ユダヤ教の聖典が「旧約聖書」でキリスト教の聖典が「新約聖書」です。
「旧約聖書」は世界の誕生とユダヤ人の神話、歴史について編纂した書物です。神話集兼歴史書、といったところでしょうか。「アダムとエヴァ」の話や「ノアの箱舟」の話はこちらに記されたものです。
「新約聖書」はイエス・キリストの教えとその生涯、弟子たちの布教活動などが記されています。こちらはイエス・キリストの教えを伝える書物という側面が強い感じですかね。
ゼノブレイド3はどちらからも引用していますがざっくり言うと3本編の物語は主に新約聖書から、それ以前のDLCの物語やアイオニオンの歴史的な部分は主に旧約聖書から引用していると思われます。
また、グノーシス主義についても少し触れておきます。といっても僕も詳しく知らないのでキリスト教の一派で
「この世界はクソ。それはこの世界を支配する神様が偽物だからであり、本物の神様が他にいる。」
という思想だということを共有するだけにとどめておきます。(グノーシス主義は調べても素人レベルで理解できる資料が全然見当たらないです。。。)
この辺りはゼノシリーズに一貫して存在する考え方ですね。キリスト教としては結構ヤバい思想だったようですが。
■聖書の内容
上の前提を踏まえて、聖書の内容について特にゼノブレイド3と関係が深いと思われる部分を時系列順に抜粋します。ポイントとなる内容は赤字で強調しておきます。
○天地創造
神が世界のすべてを創造した出来事。世界はここから始まった。
○アダムとエヴァの誕生
神は楽園の管理者としてアダムとエヴァを創造した。アダムとエヴァは二人とも裸だったが恥ずかしがりはしなかった。また、楽園には知恵の木が植えられた。神はアダムとエヴァに「知恵の木の実を食べると必ず死んでしまうので食べないこと。」と命じた。まだ楽園に「死」はなかった。
○楽園追放
あるとき、アダムとエヴァは蛇にそそのかされ知恵の木の実を食べた。二人はふと裸でいることを恥ずかしく感じ、近くにあった木の葉で腰を覆った。それを知り怒った神は二人を楽園から追放し永遠に生きられないようにした。
○ノアの方舟
アダムとエヴァは楽園を追放された後、地上で子孫を増やしたが悪人ばかりとなっていた。人類を創造したことを後悔した神は、神に従う善良なノアに方舟を造るよう命じ、洪水を起こしてノアとその家族以外の人間を洗い流した。
洪水の後、方舟はアララト山という山に流れ着いた。
○ノアのその後
洪水の後、ノアは3人の息子たちとともに再び地上で暮らした。あるとき、ノアは酔いつぶれて裸(=聖書的には罪の象徴)で寝ていた。末の息子のハムはそれを見て兄のセムとヤペテにその様を伝えた。二人の兄はノアに着物を着せたが、怒ったノアはハムに呪いをかけた。
○アブラハムの旅
ノアの息子の一人、セムの子孫であるアブラハムはあるとき神からカナンの地(今でいうパレスチナの辺り)へ行くよう命じられる。
カナンの地を訪れたアブラハムは飢饉で移住を余儀なくされたこともあったが、最終的に神からカナンの地を与えられてそこに定住した。
※アブラハムについての補足
聖書ではアブラハムを重要な人物の一人と見ています。聖書的にはノアをアダムとエヴァに次ぐ第二の人類の始祖と見ているのですが、そのノア以後初めて神から啓示を受けた人物がアブラハムです。
神から啓示を受けた人物を預言者と言います。預言者の中でもアブラハムは信仰の父と言われ、聖書的に特に重要な人物の一人です。
○イエス・キリストの誕生
聖母マリアは受胎告知を受け、神の子、イエス・キリストを産んだ。その後、成長したイエス・キリストは洗礼を受け、伝道活動を開始した。
○イエス・キリストの伝道の旅
イエス・キリストは各地で伝道をする中で「隣人愛」を説き、多くの信者を得た。
しかし、そのためイエス・キリストはユダヤ教の司祭らから恨まれるようになった。
○イエス・キリストの処刑
イエス・キリストはあるときエルサレムに入城した。群衆は彼を歓迎したがユダヤ教の司祭はイエス・キリストを憎悪した。
弟子の一人、ユダはイエス・キリストをユダヤ教の司祭に売り渡し、イエス・キリストは捕まった。イエス・キリストは十字架にかけられ処刑された。
処刑の際には日蝕が起き、太陽が光を失った。処刑から3日後、イエス・キリストは復活し弟子に伝道の使命を与えた。その後、天へと昇った。
他にも聖書の内容はまだまだあるんですが、とりあえずは割愛します。
■ゼノブレイド3と聖書の関連性の解説
上の聖書の内容を読むとゼノブレイド3にも当てはまる内容があるのがわかると思います。
1つずつ解説していきます。
1.「アダムとエヴァの誕生」~「楽園追放」
個人的に重要な点は
・アダムとエヴァは知恵の木の実を食べて裸でいるのが恥ずかしくなったこと。
・怒った神が楽園から追放し、永遠に生きられないようにしたこと。
の2つです。
この辺りは3本編の序盤の展開そのままですね。
ウロボロスストーンの力を得たノア達6人が互いの陣営から追われる身になるというところです。ユーニのお風呂シーンとか、ノア達男組が女子の前で着替えるのが恥ずかしいとモジモジしてたのもここから着想されたシーンだと思います。
物語的にはウロボロスストーンという知恵の実を食べたノア達は性欲を知った、というわけです。性欲というとアレなので「他者を愛する気持ち」を知った、ぐらいに言い換えておきましょう。
余談ですが後述の内容にもつながるのでついでの補足。
ゼノブレイド3は"永遠の今"という大きな輪廻の物語なのでウロボロスとなった者はおそらくああいったくだりを繰り返していたのでしょう。
マシューの曽祖父、曾祖母のノアとミオもああいった思春期らしいやり取りがあったのかもしれません。
2.「ノアの方舟」~「アブラハムの旅」
この辺りはDLC、新たなる未来で描かれた出来事とおおよそ合致するかと思います。
「ノアの方舟」についてはグノーシス的な解釈をするなら「神が自分の意に沿った都合のいい者だけを残して、人間を根絶やしにする」という話になるかと思います。
アルファがナエルやシティーの人間を「クラウスの世界」に連れて行こうとした事件がまさにそれですね。また、シティーの人間を疎ましく考えていたゼットとそれに付き従いシティーを襲撃したエヌもまた「ノアの方舟」をなぞらえていたのでしょう。
新たなる未来は言うなれば「クラウスの世界」と「アイオニオン」、方舟は2つ存在していたという内容なのだと思います。
ゴンドウが変わってしまった父の姿を見て絶句するのも「ノアのその後」を踏まえた話だったのではないかと思います。
また、余談ですが3DLCで最後に訪れる黒い山は「ノアの方舟」の内容に当てはめるなら方舟が流れ着いたアララト山がモチーフなんじゃないかと思います。
そしてそれらの事件を経てマシューがシティーを再建したという話はアブラハムがカナンの地に定住した史実に基づいているかと思います。
アブラハムはユダヤ教やそこから派生したキリスト教、イスラム教などに多大な影響を与えた人物です。マシューもまたアイオニオンの後の歴史やシティーに大きな影響を残したのでそう言えるのではないかと思います。
3.「イエス・キリストの誕生」~「イエス・キリストの処刑」
イエス・キリストの生涯はノア達本編主人公6人にかなり合致してくるかと思います。
なにより一番注目したいのが処刑の際の話です。
仲間に裏切られて敵に捕まる。処刑の時に「日蝕」が起きる。
…これ、明らかにミオの処刑の話のモチーフですよね。僕自身この話を初めて知った時びっくりしました。ミオが死んだと思わせてエムと入れ替わって生きていた、という展開もキリストの復活になぞらえられたものじゃないかと思います。
(ちなみにイエス・キリストを裏切ったユダは一説ではその後自殺しています。ノア達を裏切ったシャナイアも同じように自殺しましたよね。)
だとするのならミオを含めて本編主人公であるノア達6人のモチーフはイエス・キリストで、シティーへ向かう旅の道中で各コロニーの火時計を破壊し、ケヴェスとアグヌスの兵たちを戦いの運命から開放していったのもキリストの伝道になぞらえられたものではないだろうか。
というのが僕の考えです。
■ゼノブレイド3と聖書の相関のまとめ
さて、上の章でゼノブレイド3と聖書の関連性を解説したわけですがゼノブレイド3の主要な人物は聖書に出てくる人物に当てはめることができるのではないかと考えています。
個人的に考えている聖書とゼノブレイド3の登場人物の相関をまとめると以下のようになっています。
○マシューの曽祖父、曽祖母のノアとミオ
→聖書になぞらえるなら第一の人類の始祖、アダムとエヴァ。
ウロボロスパワーという知恵の実を食べて欲望を知った人。物語的に言うなら「他者を愛する気持ち」を知った一番最初の人。
○エヌ
→聖書になぞらえるなら第二の人類の始祖、「ノアの方舟」のノア。
ゼットという神の言葉に従ってアイオニオン(あるいは"永遠の今")という方舟に乗ることを選んだ人。愛する妻を失うことを恐れ、子殺しすら為してしまい方舟から降りられなくなった。
○マシューの祖父のゴンドウ
→聖書になぞらえるなら第二の人類の始祖ノアの息子の一人でありアブラハムの先祖のセム。
アイオニオンに芽生えた新たな命、その最初期の人。父の犯した罪を目の当たりにしながらも、かつての父の想いも含めた自身の想いをマシューに託した。
○マシュー(あるいは六氏族)
→聖書になぞらえるならアブラハム。
巨神界、アルスト、アイオニオンの3つ全ての世界の人々の想いを受け継いだ最初の人。エイ、ゴンドウ、シュルク、レックスから想いを託されシティーを再興した。
少し聖書に寄せた言い方をするならエイ、シュルク、レックスという神からシティーを再興するよう託された人、といったところか。
○3本編のノア(あるいは本編主人公の6人全員)
→聖書になぞらえるならイエス・キリスト。
3つの世界の祖先の想いを受け継ぎ旅した人たち。命の火時計を破壊してケヴェスとアグヌスの兵士たちにもう戦わなくていい、人を愛していいと「隣人愛」を説いて旅をした人たち。
余談ですが聖書では神から啓示を受けた人物を「預言者」と言います。
上の章で説明したようにノアやアブラハム、それからキリストは「預言者」に当たります。他にも「モーセの海割り」で有名なモーセなど何人かが該当します。
本編に至るまでにアイオニオンの節目節目の時代に現れたノアとミオ、ウロボロスたちはこの「預言者」になぞらえられた存在ではないだろうか、というのが僕の考えです。
それと「神から啓示を受ける」というのはゼノブレイドの物語的には「ウロボロスの力を得ること」あるいは「想いを託される」ことになぞらえているのかもしれません。
また、これらを踏まえるとアイオニオンの歴史の中で起きた事件はおおよそ聖書に記された史実と一致していると思われます。
「天地創造」
→アイオニオンの創造。
「アダムとエヴァの誕生」
→マシューの曽祖父、曾祖母のノアとミオがウロボロスとなったこと。後にゴンドウを産み、アイオニオンという世界における人類の始祖となった。
「ノアの方舟」および「ノアのその後」
→ゼットの言葉に従ったエヌによるシティー襲撃事件、およびアルファによる「クラウスの世界」再創造未遂事件。
「イエス・キリストの誕生」~「イエス・キリストの処刑」
→本編主人公のノア達6人の旅。
といった具合になります。
僕自身、聖書の内容に特段明るいわけではないので強くは言えないですがゼノブレイドが大なり小なり聖書を引用しているのは間違いないかと思います。
僕が気づいてないだけで他にも聖書から引用している部分もあるかもしれません。
ちなみに過去作もある程度聖書を引用していると思います。
特にゼノブレイド2のエンディングはホムラとヒカリの行動がキリストの処刑と復活になぞらえられていると考えたら受け取り方がかなり変わって見えるなと個人的には思っています。
詳しくはなにか別の機会があったときに…
以上がゼノブレイド3の聖書的解釈でした。
各章へのリンク
1.物語の解釈
2.聖書的解釈(この記事)
3.世界観設定の考察
前の記事
ゼノブレイド3の解釈まとめ 1.物語の解釈
はじめに
(上記は冒頭記事「はじめに」へのリンクです。先にこちらを読んでいただくと後の内容が理解しやすくなるかと思います。)
ここではゼノブレイド3の物語がどのようなものだったのかについてまとめます。
先に断っておきますとこれはあくまで僕個人の解釈です。なるべく論理だてて説明していくつもりですがそれが正しい、必ずこうだと決めつけるものではありません。
これを読んだ皆さんがゼノブレイド3という物語の解釈を深める一助になれば幸いです、といったものです。
■ゼノブレイド3の全体のテーマについて
個別で説明する前にまず概要としてこのゲームのテーマがなんだったのかについて話したいと思います。
僕は物語は基本的に核となるテーマ、伝えたいことがあって、それを元に脚本や世界観設定、各登場人物が作られていくと考えています。逆にテーマを無視した設定は基本的には作られないと思っています。でないと伝えたいことがあやふやになっていくので。
なので物語を深堀りしていく際にまず重要なのは物語のテーマを知ることだと考えています。
さて、話を戻しますがこのゲームのテーマは
「想いを託されたノア達が未来を切り開く物語」
だと考えています。
本編やDLCをやった方ならなんとなくそういうテーマだったと伝わるかと思います。
さらに、僕はそこから発展して
「ラッキーセブンという"みんなの想い"の集合体を託されたノアという"胎児"が、アイオニオンというゆりかごから出て"この世に生を受ける"までの物語」
と解釈しています。
(特に重要だと感じた部分は""で囲いました。)
色々初出のワードが出てきて?となる方もいるかと思います。一つずつ説明していきますので今はなんとなくそんな感じか…?くらいに思っていただければ大丈夫です。
■ラッキーセブンに宿る"みんなの想い"について
ゲーム内でもノアの大きな力となったラッキーセブン。ここではあの刀が一体どういうものだったのか話していきます。
まず、ラッキーセブンについて整理しましょう。
・ラッキーセブンはオリジンの金属から造られている。オリジンは記憶や魂の集合体である。
・創ったのはメリアちゃんである。
・メリアちゃん曰く「この剣には"大切な人"が宿っている」。
・リク曰く「"みんな"がここにいる」。
まぁそんなところでしょうか。
ラッキーセブンにはメリアちゃんにとって「大切な人」が宿っているようです。ここで僕が説明したいのはそれが誰かについてです。
では、それは誰なのでしょうか?
メリアちゃんにとって大切な人というとぱっと思いつきそうなのはフィオルンやダンバンさん、リキといったかつての旅の仲間かと思います。
けど、それは少し違うんじゃないかというのが僕の考えです。
ゼノブレ1、特につながる未来をプレイした方ならわかっていただけるでしょうが、
メリアちゃんにとっては旅の仲間だけでなくタルコやテト、カリアンやソレアンといった自分と関わりのあるすべての人たち、「みんな」が大切な人だと僕は考えています。
ゲーム的に表現するなら"キズナ"を持つ人たちと言ってもいいかもしれません。
また、オリジンは巨神界とアルスト、2つの世界の人々の記憶や魂の集合体であると言及されていますが、3DLCでオリジンには2世代前の世界である「クラウスの世界」まで記憶されていることが判明しています。
それはアルヴィースの記憶によるものです。メリアちゃんやニアの存在まで鑑みれば「クラウスの世界」から巨神界、アルストに至るまでのゼノブレイドシリーズのおおよそ全ての記憶情報が存在しているとは考えられないでしょうか。
これらのことから僕は
オリジンから創り出された「未来を切り開く力」を持つ刀であるラッキーセブンは
「過去から今に至るまでのみんなの記憶と魂、すなわち想いの集合体」なのではないかと考えています。※ 1
その中にはもちろんフィオルンやダンバンさんたち、かつての旅の仲間もいると思います。
ホムラやヒカリ、ジークやメレフなどアルストの人たちもいるかと思います。
ノアが振るっていたラッキーセブンはそういう性質のものであり
ゼノブレイド3は「みんなの想いを託されたノアが未来を切り開く物語」だったのではないかと考えています。
※1
追記になりますが、2024年4月1日発売の「アイオニオン・モーメント」にて「ラッキーセブンにはフィオルンの意思が宿っている」という趣旨の説明がなされました。
僕の従来の解釈と異なる内容ではありますが、その後の高橋監督の発言内容に「各々が世界を変えるために肉体やモノなど、何らかの形を取ってあの世界に表出している」という趣旨の発言があります。
なので「オリジンは過去から今に至るまでのみんなの記憶と魂、すなわち想いの集合体である」「ゼノブレイド3はみんなの想いを託されたノアが未来を切り開く物語である」という従来の解釈はそのままに、その中でも特に「(みんなの内の一人である)フィオルンがアイオニオンという世界を変えるために選んだ形がラッキーセブンである」という解釈を追記しておきます。
■アイオニオンにおける命の在り方について
ゼノブレイド3では物語中で「正しい命の在り方」を定義する要素が2つ存在すると僕は考えています。
1つは「親子の繋がりを持つこと」です。
より正確に言えば「想い」を受け継ぐ関係性を持つことです。
ケヴェスとアグヌスの兵士は親子の繋がりを持っていません。その一方でシティーの人たちは親子関係を持っています。
この2つは明確に対比された存在として描かれています。
そして技術、形見、愛情、願い。様々な形で「想い」が親から子へ託されていく様子がゲーム中で描かれています。
ゼノブレイド3では明確に「想い」を託す関係性の、いっとう特別な物として親子を定義しています。
もう1つは「命」です。
ケヴェスとアグヌスの兵士の寿命は10年程度です。一方、シティーの人間は現実の人間と同じように80年程度の寿命を持っています。
これも明確に「正しい命の在り方」として定義されています。
そして、本編の出産立ち会いのシーンや3DLCのエンディングでシュルクとレックスがニコルとカギロイに命を託したように、それもまた親から子へ託されるものと示されています。
まとめるとゼノブレイド3においての「正しい命の在り方」とは「親子の繋がり」、
すなわち「想い」と「命」を受け継ぐ関係性を持つことです。
そして、3本編の主人公であるノアたち6人は親という関係性を持ちません。まだその概念すら知りません。それと寿命、すなわち命を持っていません。
言うなれば彼らはこの世にまだ生まれていないのです。
まだ親と子の繋がりを持たない者。
まだこの世に生を受けていない者。
親から子へ、「これから」想いと命を託されていく者。
つまり、ノア達は「胎児のような存在」なのだと僕は考えています。
これから生まれる者と言い換えてもいいでしょう。ケヴェスとアグヌスの兵であるノア達はそういった存在なのだと思います。
■ゼノブレイド3は"生命賛歌の物語"である
ここまで長々と説明しましたが、僕がはじめに述べた
「ラッキーセブンという"みんなの想い"の集合体を託されたノアという"胎児"が、アイオニオンというゆりかごから出て"この世に生を受ける"までの物語」
という言葉の意味もなんとなく見えてくるかと思います。
ラッキーセブンが過去から今に至るまでの「みんなの想い」の集合体であり、ノア達ケヴェスやアグヌスの兵が「胎児」のような存在だとするならゼノブレイド3は
みんなの想いを授かった胎児がこの世に産声を上げるまでの物語
だったと言えるのではないでしょうか。
1ではシュルクという少年が仲間とともに未来を選び取る物語を描き、2ではレックスという少年がホムラ、ヒカリという少女と出会う物語を描きました。
そして、3で描かれたのはまさにその先、かつての少年たちが大人となった先の物語。
ゼノブレイド3はまぎれもなく生命賛歌の物語だったのでしょう。
以上が、僕が解釈したゼノブレイド3の物語です。
各章へのリンク
1.物語の解釈(この記事)
2.聖書的解釈
3.世界観設定の考察
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