ニャッシャソゲームイズム

このブログでは僕が主にゲームやアニメを通じて得た感想などを記していきます。

記事はゲーム85%:アニメ10%:その他5%くらいの割合になる予定です。
【注意】 このブログは「ネタバレしながら思いっきり語る場が欲しい!」 という動機で始めたためネタバレが多めです。ご了承ください。

【フロムゲー考察】ダクソやACなどのフロムゲー作品の根底に「グノーシス主義」の思想があるのではないか?という考察

 

最近ゼノブレイド3をプレイしているんですが、ゼノブレイド3とダークソウルの世界観って妙に似てるんですよね。

 

ゼノブレイドシリーズは任天堂から出ているRPGですがこのシリーズがグノーシス主義というキリスト教の異端思想を盛り込んだ作品というのはファンの間では結構有名な話です。

 

そう考えたらもしかしてダークソウルの世界観、それどころかフロム作品全般の思想の根幹に「グノーシス主義」という思想が盛り込まれているのでは?という発見をしたのでまとめておこうと思います。

 

 

ゼノブレイド3とダークソウルの世界観の類似性について

最初にダークソウルに「グノーシス主義」の思想があるのでは?と考えた発端、ゼノブレイド3とダークソウルの世界観の類似性についてまとめておこうと思います。

 

まず、ゼノブレイド3のざっくりとした話の内容を言うと

ゼノブレイド3の世界は「オリジン」という過去の世界の人々の記憶情報を集積した物体を元にして生み出された「アイオニオン」という世界が舞台です。
そしてその世界を「ゼット」という神が支配しているのですが「消滅現象」という現象によって世界は少しずつ滅んで行っているんです。
また、アイオニオンの人間は死んでは元の記憶を失って再生される「輪廻」を永遠に繰り返しています。
主人公のノアはその輪廻を断ち切り世界を変えようとする…

という話です。

 

一方、ダークソウルのおおよその話の内容は

ダークソウルの世界は始まりの火」を中心にして生まれた。
そしてその世界、「ロードラン」を治めていたのは「グウィン」という神だが「始まりの火」が消えかかり世界は荒廃していた。
そんな中、ダークソウル1の主人公は「始まりの火」の薪となる使命を背負って旅立つ…

みたいなストーリーです。

以降、「始まりの火」が消えかかる度に薪となる人間が現れ世界を再創造するという「輪廻」が続きます。

そしてシリーズ3部作のラスト、ダークソウル3では「始まりの火」がもうホントに消えかかっており主人公が薪になったところで世界を完全に元に戻すことはできない。
主人公はそれでもなお「始まりの火」を継いで荒廃した世界の輪廻を続けるか、「始まりの火」を消して世界を終わらせるかの選択を迫られる。

という話になるんですよね。

 

 

前置きが長くなってしまいましたがゼノブレイド3とダークソウルの世界観が

「オリジンor始まりの火を中心に作られた、少しずつ滅びゆく輪廻を繰り返す世界」

って考えたらめちゃくちゃ似てませんか?


世界の中心:オリジン⇔始まりの火
滅びの輪廻を繰り返す世界:アイオニオン⇔ロードラン
世界を支配する神:ゼット⇔グウィン
という相関関係がなぜだかキレイに成り立っているんです。


なんでこんなに似てるんだろう?と考えたときに僕は最初、お互い聖書から引用している内容が多いので聖書にそういう思想でもあるのかなぁ?くらいに思ってたんです。


けど、先ほども言いましたがゼノブレイドシリーズの思想の根幹にはグノーシス主義という実在するキリスト教の異端思想が盛り込まれているんです。

 

ここで最初の本題に戻るのですがそう考えたらもしかしてゼノブレとダクソの世界観が似てるのはダクソの根幹部分にも「グノーシス主義」の思想が盛り込まれているからなのでは?って考えに至ったんです。

 

 

■「グノーシス主義」の概要

じゃあ「グノーシス主義」とはそもそもなんなのか?という説明をする必要があるかと思います。

ざっくり言うと仏教の「悟りを開いて苦しい世の中から解脱しましょう」という思想と似たキリスト教の異端思想です。

(僕自身、この思想について勉強中で詳しく理解しているわけじゃないんですが。)

 

グノーシス主義」の思想は基本的には

「この世界はクソ。それはこの世界を生み出し支配する創造神が偽の神だからだ。しかし創造神とは別に私たちを生み出した本当の神、至高神がいるはずだ。」

という考え方なんです。

 

偽の神によって造り出されたこの世界(=現実)を構成する「物質」は悪であり、「物質」で作られた私たちの「肉体」も悪である。

 

しかし、私たちの内に存在する「精神」だけは真の存在であり、本当の神が自身を模して生み出したものである。


だから、正しい認識によって自らの「精神」=「本質」を見極め、肉体から解き放ち至高神のいる「善の世界」へと回帰しようという思想です。

 


まとめると「偽物の神様が支配する"悪の世界"(物質)への執着を捨てて、本質(精神)を見極めて本物の神様がいる"善の世界"へ行こうというような思想なんです。


最初に言った通り、仏教の「悟りを開いて苦しい世の中から解脱しよう」という思想と似た考えになるんですよね。

 

 

■フロムゲー各作品に見られる「グノーシス主義」の思想について

上記の「グノーシス主義」の思想を元に考えたらダークソウルやフロムゲーの各作品のテーマってこの思想にかなり似通ってるんじゃないか?と思ったんですよね。

 

そこで僕が感じたフロムゲー各作品と「グノーシス主義」の思想の関連性について解説していきます。

一つずつストーリーを説明すると冗長になるので詳細までは説明できないですがご了承ください。

 

また、僕自身フロムゲーはトロコンまでプレイしているものもあれば、動画などで内容くらいは知っているという程度の物まであり理解度は作品によってまちまちです。

そこはご容赦ください。

 

さて、先におおまかな結論から言っておくとフロムゲーはおおよそ

「プレイヤーの本質(想い)が作品世界の在りようを決める」という形になっているかと思います。また、ベストエンドとでもいうべきエンドは「苦しみに満ちた世界の支配者を打倒して善の世界へ回帰しよう」という結末かのように思えます。「グノーシス主義」が「自らの内に本質を見出し新たな世界へと至る」思想なのでおおよそこの考えに沿っているように思えます。

 

ということを踏まえて以下からそれぞれ解説をします。

 

 

○ダークソウルシリーズ

ダークソウルのおおまかなストーリーは上記で述べましたが最終作、ダクソ3のエンドは以下の4つです。

 

・始まりの火を継ぐ者エンド

・火の簒奪者エンド

・火継ぎの終わりエンド

・火守女殺害エンド

 

始まりの火を継ぐ者エンドは上でも言及した通り、始まりの火の薪となりこれまで通り世界の輪廻を継続するエンドです。

それに対して火の簒奪者エンドはいわゆる闇の王となるエンドです。どちらにせよ世界を存続し、主人公が世界のこれからの在りようを決める結末です。

 

一方、火継ぎの終わりエンドは始まりの火を消し世界を終わらせるエンドです。「グノーシス主義」的にはグウィンという偽の神が創造した「悪の世界」を終わらせる結末だったのではないかと思います。

 

また、火守女殺害エンドは火継ぎの終わりエンドの直前、火守女が始まりの火を消そうとした瞬間に火守女を殺害し始まりの火を奪い取るエンドです。

始まりの火がダークソウルにおける「悪の世界」の根源ならば「グノーシス主義」的には「悪の世界への執着」を意味するエンドなのではないでしょうか。

 

 

○SEKIRO

SEKIROのエンドは以下の4つです。

 

・不死断ちエンド

・人返りエンド

・竜の帰郷エンド

・修羅エンド

 

SEKIROの物語において狼さんの「本質」が九郎さまだったと考えるなら

狼さんが九郎さまの願いをかなえるために彼を殺める不死断ちエンド、己を犠牲に九郎さまを生かす人返りエンドはどちらも「グノーシス主義」に沿った話なのではないでしょうか。

 

九郎さまの願いを聞くか。九郎さまを生かすか。狼さんにとっての本当の「本質」はなんなのかを問われるエンドだったように思えます。

 

一方で修羅エンドは九郎さまを見捨て、狼さんが葦名の支配者になろうとする「悪の世界への執着」を描いた物のように思えます。

ダクソ3の火守女殺害エンドと似たような意味を持つエンドだったのではないでしょうか。

 

竜の帰郷エンドはさらに「グノーシス主義」的な思想が顕著です。九郎さまを宿したお米ちゃんとともに西の国へ向かうというのは「グノーシス主義」で言うところの「自らの本質を善の世界へ回帰する」結末だったのではないかと思います。

 

また、弦ちゃんが葦名に拘っていたのも「グノーシス主義」的には「悪の世界への執着」であり、弦ちゃんから一心様が生えてきたのも「葦名という世界の支配者が一心様」でSEKIROは一心様を斬って善の世界へ回帰しようとする話だったように感じられます。

 

 

○ブラッドボーン

このゲームに関しては作品の世界観自体がかなり「グノーシス主義」的な思想に沿っているように思います。

 

主人公が病気の治療のためにヤーナムに訪れていること。啓蒙を高めて上位者を認識しようとしていること。そもそも上位者の存在その物。

 

どれをとっても「グノーシス主義」的な思想を感じます。ブラボのエンドの1つ、幼年期の始まりエンドにいたっては主人公自身が上位者になる結末です。とても「グノーシス主義」的なエンドです。

 

 

アーマードコアフォーアンサー(ACfA)

ACfAのエンドは以下の3つです。

 

・企業連エンド

ORCA旅団エンド

・人類種の天敵エンド

 

グノーシス主義」の思想に当てはめるならACfAの世界観は企業連が世界の支配者であり、企業連とORCA旅団という「偽の神」同士で今後の世界の支配者争いを行うというような話だったのではないかと思います。

 

そう考えたらどちらのルートでもオッツダルヴァが(ハードモードでは)ラスボスとして立ちはだかるのも彼が「偽の神」の象徴のような存在だったからなのでは?という気がします。

実際に彼はカラードランク1でありORCA旅団長です。どちらの陣営においても相応の地位を持った人物でした。

 

そして何より注目したいのが人類種の天敵エンドです。

人類種の天敵エンドは主人公自身が人類を滅ぼそうとするというエンドです。

グノーシス主義」では「肉体」という悪の存在から解き放ち、正しい認識を教えてくれる人物を「救済者」として見ています。

この人類種の天敵エンドは正に主人公が腐りきった「悪の世界」から人類を救済しようとするグノーシス主義」的なエンドだったのではないでしょうか?

 

また、人類種の天敵エンドでの主人公の仲間であるオールドキングは前作AC4のED曲「thinker」を歌います。

 

「thinker」の出だしの歌詞は「I'm a thinker. I could break it down.(私は思想家。私は自分自身だって破壊できる。)」です。

これは正に「グノーシス主義」的な思想を歌っているのではないでしょうか。

 

つけ加えるなら「thinker」の歌詞全体が「今の世界を破壊して新しい世界へ飛び立とう」とする「グノーシス主義」の思想に沿った歌詞に思えます。詳細についてはYouTubeなどで歌詞翻訳動画が挙がっていますのでそちらを参考にお願いします。

 

 

○パッチ

最後は特定の作品ではなく登場人物ですがもはやフロムゲーには欠かせないこいつ、

パッチ、ザ・グッドラック

です。

 

作品にもよりますがパッチは追いはぎを生業としている男です。先ほども述べましたが「グノーシス主義」では「物質への執着」を悪とし、正しい認識を教えてくれる人物を「救済者」として見ています。

あれ、もしかしてこいつグノーシス的な意味での救済者扱いか…?

他にもダクソ3DLCでは主人公を「正しい道」に蹴落としてくれたり、エルデンリングでは正気を失ったタニスの「大切だった物」を探してくれていたりします。

パッチ、やっぱりお前もしかしてそういう扱いか…?

 

 

 

 

…というように、フロムゲー全般が「グノーシス主義」の思想を元に作られていると考えたらおおよそ筋が通っているように感じられます。

必ずしも偽の神=悪者というわけではないようですが「苦しみに満ちた世界の支配者を打倒して善の世界へ回帰しよう」というグノーシス的なテーマは一貫しているように思えます。

 

特にブラボやSEKIROはフラグ立てなどで達成条件が最も難しいエンドが明確に「善の世界へ回帰する」エンドになってるんですよね。

ダクソ3もEDの後、DLCにおいてお嬢様によって絵画世界という「新たな世界」が創造されることでシリーズの幕を降ろします。

各作品のテーマ的にこれをベストエンドと呼べるかはなんとも言えませんが、少なくとも「グノーシス主義」の到達目標に最も沿ったエンドであることは間違いなさそうです。

 

近年のフロムゲーは基本的に分岐エンド方式を採用していますが「世界の在り様をプレイヤーの感じた想い(=プレイヤーの本質)に委ねる」という観点では「グノーシス主義」の思想に沿った物と思います。

今回は言及しませんでしたがエルデンリングもそうなんじゃないでしょうか。

 

また、「グノーシス主義」が具体的にいつ頃から盛り込まれているかはわかりませんが「thinker」の内容からすると少なくともAC4の時には存在しているようですね。だとするとデモンズソウル辺りにもあるんでしょうか?

 

グノーシス主義」の思想に当てはめて考えれば他のフロムゲーの各キャラクターの行動原理や世界観設定の意味なんかも見えてくるかも…と思います。

これから発売する予定のAC6やエルデンリングDLCの考察の指針にもなるかもしれません。

 

 

フロムゲーは長年いろんな方が考察されていますが「フロムの根底」ともいえる今回の内容は我ながらフロムゲー考察的にかなり重要な発見なのでは…!?と、個人的にはそう思わざるを得ません。

 

…というか正直、僕としてはフロムゲーに一気通貫するテーマの存在を見出せてしまったことが驚きです。

僕自身そこそこ長い期間フロムゲーの考察をしているんですが「フロムゲーの物語に筋が通っていると感じられてしまった」こと自体がなんだか尋常ではないことのように感じてしまいます。

フロムゲーをよく遊ぶ方ならこの気持ち、わかってもらえますかね…?

 

そしてこの記事を読んだフロムゲーを遊んでいる方に何か得られるものがあれば…と思いこの記事をまとめました。

 

端くれ考察者のブログ記事の拡散力など知れたものではありますがなにかのきっかけになればいいなと。…けどこの考え、フロムゲー考察にとって結構マジで重大な発見な気がするんですがよければ拡散してくださいお願いします…

 

余談になりますが今回の発見のきっかけになったゼノブレイドも面白いですよ!シリーズを通して「グノーシス主義」の思想が盛り込まれているのでフロム考察をするなら触れておいてもいいかもしれません。