当ブログ1回目の記事は「天気の子」です。えぇ、今さら。
昨日やっと観てきてめっちゃ面白かったのでネタバレありで思ったことを書きなぐっていきます。もうこれを言いたくてこのブログ始めたようなもの。
とても面白かったです。切なくて、愛おしい。まさにそんな感じになった。
観に行ってよかった。
それではさっそく↓から感想です。ネタバレあり(未見の方はバック推奨)
「天気の子」とは「狂った世界」と「愛」の物語
いきなり結論から言います。
「天気の子」は「狂った世界」に抗う主人公の「愛」の物語です。
突然そんなこと言われてもわかりにくいと思うのでざっくりあらすじを説明していきます。
主人公は故郷に息苦しさを感じて大都会・東京に家出してきた少年、帆高(ほだか)くん。雨が何日も降り続く異常気象に見舞われた東京での家出生活は上手く行かず、途方に暮れていた矢先天気を操れるという少女、陽菜(ひな)ちゃんと出会います。
陽菜ちゃんの力を使って天気を晴れにする「お天気ビジネス」を始める二人。異常気象が続く東京ではこれが大盛況となり陽菜ちゃんは毎日のようにその力を使うことになります。しかし大きな力には代償が必要だった。陽菜ちゃんの力は「天気の巫女」の力であり「天気の巫女」とは異常気象を元に戻すための生贄でした。
家出の際たまたま拾った拳銃により警察に追われることになった帆高くん。同じく親を亡くし弟・凪(なぎ)くんと二人、子どもだけで暮らしていたことが問題となった陽菜ちゃん。
離れ離れになるのを嫌がった三人は警察からの逃亡を始めます。そんな逃亡の最中、身分証も持たない子ども三人の宿泊を唯一許してくれたラブホで彼らはつかの間の安息を得ます。しかしその中で帆高くんは陽菜ちゃんから生贄の事実を聞かされます。
翌日、陽菜ちゃんはラブホからいなくなっていました。そして雨続きだったのが嘘だったように東京は晴れ上がっていました。陽菜ちゃんを救うべく、警察の追っ手から逃げつつ陽菜ちゃんの元へ向かう帆高くん。しかし、陽菜ちゃんを救うということはすなわち異常気象を再び巻き起こすことを意味していました。それでも帆高くんは迷うことなく、陽菜ちゃんの元へ向かいました。そして陽菜ちゃんを連れ戻すことに成功します。
3年後、雨が降り続ける東京で実家に連れ戻された帆高くんと陽菜ちゃんが再会するところで物語は幕を閉じます。
大筋はこんな感じ。
この物語の大切なポイントは帆高くんが世界に息苦しさを感じているところ、陽菜ちゃんが帆高くんを受け入れてくれた存在だということです。
さて、ここからは僕なりの作品の解説に移っていきます。
主人公の帆高くんはやばいことを序盤から色々やっています。
家出したり、拳銃ぶっ放したり、警察から逃げたり、拳銃ぶっ放したり
序盤から終盤まで満遍なくぶっ飛んだことやってますね。
実際、帆高くんは世間の人(キャバクラの人とか刑事さんとか)からはやばいやつって感じの扱いを受けてます。けど世間に息苦しさを感じる思春期の少年なんて大して珍しいものではありません。それは極々自然な思春期の感情。帆高くんの事情を知る視聴者は特段彼をおかしいとは考えないかと思います。にも関わらず世間の人が「このガキやばい奴だわ」で簡単に一蹴するのってよくよく考えたら変な話じゃないでしょうか。
それは彼ら世間の人が帆高くんという他人に対して無関心だったからです。
目の前のガキがどんな事情を抱えていようが知ったこっちゃない。
仕事が面倒になるだけ。
そんな感じで無関心であるが故に帆高君を迫害します。
帆高くんの他にも陽菜ちゃんや帆高くんの家出生活の面倒をみてくれた須賀(すが)さん等主要人物は何らかの形で世間から迫害されています。
親を亡くし、弟と離れ離れにならないよう年齢を偽って働くしかない陽菜ちゃん。禁煙したにも関わらず煙草を吸っているという偏見で娘と会うこともままならない須賀さん。弟と一緒にいたい、娘に会いたいという感情は本来人間であれば自然と生まれる感情であるはず。にも関わらず彼らは世間によってそれを許されない状況にあります。
世間は彼ら個々の感情に対してひどく無関心であり、常識で子どもだけで生きていく力はないとか煙草を吸う人は娘と会わせられないとか決めています。
これは彼らが狂っているからなのか?それとも思いを知ろうともせず偏見や常識を押しつけてくる世間、言い換えれば世界が狂っているからなのか?
少なくとも迫害を受ける彼らには世界の方がおかしいように見えたでしょう。
しかもその上、陽菜ちゃんは世界を正常にするための生贄としての使命を背負わされてしまいます。
ちょっと世界、ムシが良すぎません?
そんな残酷な世界に対して帆高くんは選択をすることになります。
世界のために陽菜ちゃんを見捨てるか
陽菜ちゃんのために世界を異常のままにするか
帆高くんは後者を選びました。
追っ手となった警察に対して帆高くんは拾った拳銃をぶっ放して抗います。
うん、帆高くんも大概狂ってますね。
拳銃というのは彼にとって狂った世界に抗う力であり、世界、あるいは帆高くん自身が「狂っている」ことの象徴でした。
帆高くんは作中拳銃を2回ぶっ放していますがいずれも陽菜ちゃんのために使っています。
お金もなく途方に暮れていた帆高くんにとって見返りも求めずハンバーガーをくれた陽菜ちゃんは世界で初めて自分を受け入れてくれた存在。
彼は自分を受け入れてくれた陽菜ちゃんのために拳銃をぶっ放し、狂った世界に風穴をぶち空けました。
彼は愛ゆえに狂うことができたのです。
~それでも、世界は変わらない~
そんな彼が選んだ結末は一見すると世界を歪ませたように見えます。
けれど、偏見と無関心で塗り固められた世界が果たして健常といえたのでしょうか。
作中、東京がかつて海だったこと、人が埋め立てたことによって地形が変わったことが言及されています。
これはまさに「天気の子」という作品世界の構図を表していました。
世界はすでに狂っていたのです。
一人の少年がさらに狂わせたところで今さら世界は変わりません。
東京は水没しても人々は変わらず営みを続けます。
下町からマンションに引っ越したおばあちゃん。ボロい居抜き物件から綺麗なオフィスに引っ越した須賀さん。街の交通手段は船に代わり、咲いた桜を見ようと人々は集まります。
そう、世界は狂っても大丈夫なのです。
だって、元から狂っているのだから。
~狂った世界で唯一正常だった場所~
最後になりますが作中で唯一正常ともいえた場所がありました。
それは帆高くん一行が警察からの逃亡中に訪れた「ラブホ」です。
…いやいや待て、ラブホのどこが正常なんだと。順を追って説明します。
この作品は中盤くらいまでは家出した帆高くんがどうやって生計を立てるかというのが話の中心になっています。まぁ、先立つものがなければ生活もままならないですからね。まして家出なんてしたくらいですからね。
けど、何で稼ぐとかどうやって暮らすとか本来中高生らしい悩みじゃなくないですか?
これは陽菜ちゃんも同様で弟と一緒に暮らすためにどうやって稼ぐかを常に考えていました。
陽菜ちゃんはバイトしていたハンバーガー屋(たぶんマック)をクビになっています。
けど、よくよく考えてください。マックのバイトなんてそう簡単にクビになります?相当とんでもないことをしない限りはクビにならないんじゃないですか?
これは予想なのですがおそらく陽菜ちゃんが年齢を偽っていたことがバレたからなのではないかと思います。
余談になりますがクビの理由を帆高くんにはぐらかしたのも陽菜ちゃんが年齢を偽っていた事実への伏線だと思います。陽菜ちゃんが誕生日を言うときになんとなく言いよどんでいたのも年齢を偽っていたからだと思われます。
話を戻します。ハンバーガー屋をクビになった陽菜ちゃんは風俗を始めかけるほどに追い詰められていました。おおよそ中高生らしくはない状況でした。
年齢を偽って、さらには風俗にまで手を出しかねない状況に追い込まれたのは世間の目を偽るためでした。世間は児童相談所などに行くことが正常と判断するでしょうがそれでは弟とは一緒にいられません。
弟と一緒にいたいという思いを叶えるにはそうするしかなかったのです。
さて、場面は変わって帆高くん一行が警察から逃亡する場面。寝床を手に入れるために都内のホテルを探す彼らでしたが中高生のみであり身分証もないこと、異常気象も重なりなかなか宿泊先を見つけることができませんでした。
そんな彼らを唯一受け入れてくれたのが「ラブホ」でした。
そしてひとまずの安息を得た彼らは大きなバスにはしゃぎ、自販機のファストフードを食べ、カラオケで歌い騒ぎます。
緊迫した場面が続く中でのようやくの安息。作中で初めて彼らが中高生らしいはしゃぎ方をする場面ですがちょっと待ってください。
ここ、「ラブホ」ですよ!?
「ラブホ」って大人同士が愛を育む場所です。要するにナニする場所です。未だ純粋な少年少女が行くのが好ましいところではありません。
しかし、この矛盾にあふれた場面が「天気の子」という作品を最も象徴する場面でした。
正常という名の偏見を押しつける世間。そこから逃れた先がおおよそ中高生らしくない下世話な場所。そこで初めて中高生らしい安息を得て、帆高くんは訪れた陽菜ちゃんの誕生日を祝い、用意していた指輪を渡し愛を育みました(※ナニはしていません)。
こんなにも矛盾にあふれているのにこんなにも純粋な少年少女の愛おしい場面があるんですよ。「天気の子」って。やばくないですか?
「狂った世界」とそこで育まれる「愛」
これこそ「天気の子」という作品でした。
映画を観ていた僕にはこの矛盾と純粋な二人の少年少女が切なくて、愛おしくてたまりませんでした。ぶっちゃけ半分くらいはここを言いたいがために書いた記事です。
切なくて、愛おしくて、幻想的な作品。それこそまさに「天気の子」
どうしようもなく狂った世界をこんなにも綺麗に美しく魅せるってすごい作品だなと。
新海誠監督がいかにすごいかを見せつけられました。この気持ちを書きなぐらずにはいられなかった。そんな作品でした。